兼続に会わせて以降は三成自身も顔を合わせることがなく。
結局幸村についてよくわからないままはや5日が経とうとしていた。





ひとかけらの空 7





ピリリピリリ…と無機質な携帯の音が部屋に鳴り響く。
意識が覚醒してくるが、いつものように瞼の奥に日差しを感じることもないため、いつも以上に早く起きなければいけないという事実を思い出してしまう。

…面倒くさい。

三成は完全に無視を決め込んだ。
朝に弱い三成の常套手段だ。

だが携帯の方もそんな彼を知ってか執拗に鳴り続けている。
始めはもう一度寝てやろうと高をくくっていたが、さすがに2、3分も続くコール音は耳につき始めた。
相手はわかっている。
だからこそ出たくないのだ。
例え自分のワガママだとしても。

それでもうるさく音は続く。
三成は観念することにした。
枕に突っ伏しながら手探りで携帯に手を伸ばす。


「…やかましい」


通話ボタンを押して恨みがましく声を上げると、電話をかけてきた者が飄々と返事をした。


「ひどいじゃないですか殿。 左近に5時にモーニングコールしろって命令したのはどなたです?」


三成の友・左近だ。
いつもと同じ揶揄するような声を上げるものの、その声には若干の眠気が感じられる。
それはそうだろう、自分は全く関係ないことに付き合わされているのだから。


「…うるさい。 俺は今眠いのだ…説教なら後にしろ」


三成の傍若無人な態度にも動じず左近は返事をした。


「はいはい、でももう起きて音出し始めてくださいね。 遅刻したら折角のアルバイトが台無しですよ。 音楽家の権威に会えるチャンスなんでしょう?」
「わかっている!」


おおこわい、と左近が笑う。
電話口の向こうで肩をすくめる様が見えるようだ。

だが左近の言葉は確かに正しい。
音大などに通っていると大学を通じてのオーケストラの行事等色々あるが、そのなかでも実力を有するものは時にスカウトがあったりする。
中でもプロを目指す者は上との繋がりも必要だ。
そのためにはもちろんコンクールで成果を出すことが絶対条件に挙げられるが、それでも少しでも自分の実力を評価してくれる人間を探したい。
今回はその良い機会なのだ。


「それじゃ殿、行ってらっしゃい」
「…あぁ」


そう言って通話は終わった。
多くは語らないが、何となく言いたいことはわかる。
これが自分たちのコミュニケーションだった。
多分左近はこれからもう少し寝るのだろう。
若干不快だが、何だかんだ言って律儀に自分に付き合ってくれている左近に三成は感謝していた。
決して口には出さないが。

通話を切ると部屋には静寂が戻った。
未だ覚醒しきらない頭でぼーっと部屋を見回す。
この静かな感覚が好きだ。
何の物音も聞こえない、そんな感じがー…。


ー待て。


はっと三成は顔を上げた。
何かを思い出したように周囲を見回す。
当たり前だが相変わらず暗い部屋には何者の気配もなく、変わった様子もない。
だが、三成には一つ思い当たることがあった。

ーそうか、これだったのか。


気づけば何でもないことだった。
幸村に対しての違和感。
今までに何度も彼はその兆候を見せていたのだ。

妙にすっきりした感覚を得た三成は、手早く着替えを済ませると相棒である楽器を担いで練習室に向かった。
















朝の練習部屋は人の気配がない。
自分も含め何か特別な用事がなければこれほど早く練習しようと思う人間は少ないからだ。

だがその分、その“何か特別な用事”があった場合、この寮の練習部屋ほどありがたい部屋はなかった。
寮生は入居時に練習部屋の鍵を手渡されており、24時間365日自分の好きな時間に使用することが出来るのだ。
コンクールやコンサート、実技テストといったときのためにも自分のコンディションを徹底的に管理することが出来るのである。

三成は完璧主義者であるため、どのような時にも最高の音を出すことを自分に課している。
例えそれが彼の苦手な早朝という時間だったとしても完全を求め、音楽のためには全てを惜しみなく捧げる男だった。

だから練習室の扉を開けるまで中にいる人間に気づかなかったのは、今日の曲について集中して考えていたためであり、加えてまだ頭が若干寝ぼけていたためであったのだろう。


何気なく開いた扉の奥では。
幸村が、ピアノを弾いていた。


自分とは違う深い色の黒髪が演奏に合わせて揺れる。
大きく骨ばった指が鍵盤の上を踊るように動いていた。
譜面台には特に楽譜は置かれていないため、彼がただ戯れに弾いているのだという予想はついた。
しかしその瞳は真剣そのもので。
そして何も見ていないにも関わらず完全に譜面を再現していて。
幸村の音楽に対しての理解の深さが伺える。

確かに技巧的にも極端に難しい曲でもない。
だが、それを抜きにしても。


(…こいつの音楽…嫌いでは、ない)


幸村が弾き終わる。
息を吐いてペダルから足を離すと、おもむろに隣にある机の上のまばらに散らばった五線譜の山に手を伸ばす。
そしてはぁと溜息をこぼすと机に突っ伏してしまった。

こちらに気づいている様子は全くない。
すごい集中力だとなんだか自分を見ているようで苦笑した。
声を掛けようと口を開くと、やはりというべきか口をついて皮肉が出てしまった。


「ショパン『幻想即興曲』。 …遊んでいるなら代わってもらおうか」


はっと幸村が振り返る。
いつもの表情に疲れが見えるのは気のせいだろうか。


「三成さん!?」
「…随分早いな」


驚いた顔でやっと声を出した幸村にさらりと返答しピアノの横に近づいた。
そういえば目に付かないと思ったら今日は先日兼続に貰っていた服を着ている。
腕には自分がやったブレスレットも見えたりして何となく気まずい。

そんな三成の若干の動揺に気づいた様子もなく幸村は頭をかいた。


「あ、その、私は朝早いというかまだ寝てないというか…」


その言葉には三成が目を瞠る。


「…アルバイトか」
「はい、コンビニで。 深夜にやってたんです」
「越して間もないのに感心なことだ」
「そんなことありませんよ。 それにコンビニは売れ残ったお弁当とか貰えますし、逆に助かっているくらいです」
「お前らしい発想だな」
「あはは、すみません。 でもさすがに深夜は眠いですね…。 学校が始まったらちょっともたないかもしれません」
「コンビニか、他にも大変なことがあるだろう?」
「え…?」


先程思いついたことを確かめるのは今しかない。


「冷蔵庫の音は一日中煩かったのではないか」
「…っ…」


この反応は正解といったところか。
幸村は表情を失くして俯いた。

三成は確信を持って尋ねた。



「…お前は絶対音感、だな?」



幸村は拳に力を込めた。














next→


















殿と左近の信頼関係はホント大好き!なんですが三幸ファンとしては若干複雑(笑)
次の話まで1話にまとめるつもりだったのに続いちゃったよ。








2008.03.31up