ひとかけらの空 5 最初にその異変に気づいたのは、2人を部屋に招きいれた後扉を締めていた兼続だった。 ガタ、と言う物音に振り返ってみると、そこには壁に手をつき、傾きかけた体を支えている黒髪が見える。 「大丈夫か?」 兼続は幸村の様子を伺おうと彼の顔を覗き込む。 表情は長い前髪に隠されて窺い知ることは出来なかった。 しかし幸村の左手は、襟元を指先が白くなるほど強く握り締めている。 その様子は兼続の目にもただ事ではないと映った。 兼続はそれでも冷静に、反応を返さない後輩に今一度どうした、と声を掛ける。 なかなか入ってこない部屋の主たちに焦れたのか、先に部屋の奥で体を温めていた三成も顔を出した。 「…何かあったのか」 三成が声を掛けたところで幸村がふと顔を上げた。 どことなく顔色が優れないように見える。 未だ彼の体には力が入り、服を握り締めた手は解けていない。 心配した兼続が水でも入れてこようと言い立ち上がりかけると、幸村はいえ、とそれを押しとどめた。 「すみません、あの…ちょっと急に暖房の部屋に入ったものですから、その…」 「暖房?」 兼続が聞き返すと幸村はあからさまにしまった、と表情を変えた。 もちろんそれを見逃す2人ではない。 単に暑いだけだというのならただそう伝えれば良い話。 ここまで動揺する必要もないのはわかりきっている。 しかし目の前の青年は何かを必死になって取り繕おうとしていた。 「その、あ…暖かいところに来た、ので…、何だか少し眩暈がしたのです…。ご心配には及びません、本当に大丈夫ですからお気になさらず…!!」 幸村がそうやって早口に捲し立てものだから、疑問を残しつつ兼続はひとまず引き下がった。 「…そうか? まあ確かに今まで慶次と左近もいたところだ、少し暖かくしすぎたかもしれんな。 一度消すとしよう。 三成、少し冷えてくるかもしれんが我慢しろ」 「わかっている。いちいちうるさいやつだ」 兼続が三成に忠告すると三成は憮然とした表情で答える。 そんな友人に苦笑しながら、兼続は未だ表情のさえない幸村を中に入るよう促した。 「適当に寛いでいてくれ」 幸村を座らせると、兼続は暖房を切り、コーヒーでも淹れようとまた立ち上がった。 三成も彼の隣に腰を下ろし、具合の悪そうな表情をを伺う。 幸村は俯きながら、どことなく落ち着かない様子で座っていた。 部屋の中は何となく気まずい沈黙に包まれた。 今聞こえるのは兼続の部屋にある加湿器の水を排出する音だけだ。 そちらに視線を走らせる幸村を見て、三成は兼続に声をかける。 「随分と良い物を持ってるな、兼続」 「そう言うな、それは慶次に貰ったものだよ。 掘り出し物を見つけたと言うからお古を貰ったんだ。 やはり声楽家に乾燥は天敵なのだろうな」 兼続が笑いながらポットからお湯を注ぐ。 室内にコーヒーの香ばしい香りが広がった。 相変わらず幸村は表情を変えず、加湿器から目を離さない。 三成が口を開きかけたとき、兼続がそのよく通る声で話しかけた。 「これは味にうるさい三成もお気に入りの一品なのだ! かく言う私も夜に曲の勉強をしながらこれを飲むのが好きでな。 三成の友は私の友! 気に入ったなら少し持って帰るといい、さあ飲んでみてくれ!」 おそらく部屋の微妙な雰囲気を汲んだのだろう。 あるいは生来の話好きのせいかもしれない。 勢いよく話しながらコーヒーとお茶菓子を出す兼続に、やっと幸村が振り返った。 その表情には先程までの微笑が戻り、少し落ち着いたようだ。 しかしその様子は、兼続に声を掛けられたことにたった今気づいたという風に見えた。 「あ、ありがとうございます! 本当にお気遣い申し訳ありません…」 「謝る必要などない! そのように緊張せずに寛いでくれ」 はい、と微笑みながら幸村はコーヒーに口をつけた。 穏やかな空気に戻った2人の様子を眺めながら、一方で三成は不信感を顕にしていた。 丁寧な物腰と言葉遣いはきちんとしつけられてきた賜物だ。 自分のことは棚に上げて、三成はそういった礼儀正しい人間を嫌いではなかった。 だが時々、彼は酷く反応が鈍くなる。 兼続の部屋に足を踏み入れた瞬間も然り、部屋に入って自分と兼続が会話しているときも然り。 まるで意識がどこか違うところにあるかのように。 寮ではそんな様子は見られなかった。 もっとも、彼を見たのは今日で2日目ではあるが。 …興味? 違う…これは、違和感、だ。 ―こいつはどこか、おかしい。 next→ 殿のコーヒーはミルクと砂糖たっぷりを推奨(笑) 2007.02.10up |