ひとかけらの空 3 暖かな日差しの中でぼんやりと覚醒する。 まだ覚めきっていない頭で窓を開けると鶯の声が遠くから聞こえた。 声の主を探すように視線を彷徨わせると桜の蕾が目に入る。 固く閉じた蕾が花開くにはいま少し時間がかかりそうだが、やはり春は目の前に来ている。 早起きは苦手だが、時折目が覚めた時に一人で堪能できる朝の静かな時間は好きだ。 そして少し気分を安らがせてから朝食。 もとより少食な三成は大した量は食べないが、寮に来る以前は朝食抜きだったことも普通にあったため、これでも生活が改善した方だ。 その後部屋に戻ってお気に入りのCDをかける。 この浮上した気分にはラヴェルなんかがいいだろうか。 頭は何やら隣人の引越し作業を手伝わされることとなった昨日の出来事をだんだんと思い出す。 引越しのトラックが寮の前に来て、人々の話し声が耳に入ってくる。 それでも、こんな日差しの穏やかな日にはそんなことも許してしまいそうだった。 ・・・隣人の部屋の扉を開けるまでは。 「・・・で、またお前はそういう服を着るわけだな」 彼の姿を見て今日も三成は脱力した。 昼のワイドショーのファッションチェックでもあるまいし、もう勘弁して欲しい。 2日目にして三成はげんなりした。 「あ、おはようございます! えっと・・・三成、さん」 対して挨拶を返す幸村は爽やかだ。 昨日早口で言った注意を律儀に覚えていたようで、慣れないように口に出す。 だがこちらの顔を見つけると笑顔で答えてきた。 昨日は多少緊張していたようだったが、おそらく上京してきて話せる相手が出来たことで嬉しくなったのだろう。 まあ気持ちはわからないでもないが、そんな朝の挨拶以前に彼には言ってやらなければならないことがある。 これは一大学生として、一先輩として・・・というより今後のためにも。 昨日も言った気もするが。 「・・・その服の趣味どうにかしろ」 今日の幸村のコーディネート。 深緑色の地のチェックのシャツに、上には白のベスト。 下も灰色の細いチェックのズボン。 もちろんシャツは、はみ出すことなくズボンの中に入っている。 昨日言っていた40代のお父さんルックそのものである。 そして、昨日にはない動きが一点。 何だかお洒落?っぽいことをしている。 今日もどこからつっこんでいいか分からない。 だが、心がこのまま放っておいてはいけないと警鐘を鳴らしていた。 とりあえず三成は一つずつ解決していくことにした。 「・・・せめてシャツは中に入れるな」 「ええ!? 子供の頃から父上に、腹が冷えるから必ず入れるように、ときつく言われていました・・・!」 「一体いくつだお前は・・・。 それに上下チェックはさすがにないだろう」 「柄というものはそろえるべきではないのですか・・・!?」 「・・・ジーンズとか持ってないのか」 「あ、ありますよ! 愛着のものです!」 「・・・はき潰した結果穴が開いたものだろう」 「いえ、昔うっかりどこかに引っ掛けてしまって・・・。でもまだはけますし・・・」 「・・・」 「・・・」 「・・・・・・・・・・・・最後に、ひとついいか」 「何でしょうか?」 「その首に巻いているものは何だ」 「バンダナです! いつ誰が怪我をするか分からないじゃないですか!」 「・・・」 「・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そのバンダナ(?)は・・・弁当を包むためのものではないのか」 「兼用です! 洗ったので大丈夫ですよ」 真剣に返してくる後輩に驚きが隠せない。 三成は本気で頭を抱えた。 服装が気になって引越しどころではない。 が、ここで押し問答しても何も変わらないだろう。 三成は必死で、物を大切にしているんだこいつは・・・と自分に言い聞かせ、話題を変えることにした。 「・・・・・・・・・まあいい。 それは後にするか。 作業が終わらん」 「あ、はい。 ではすみませんがダンボールの開封をお願いしてもいいですか?」 恐縮したように頼む幸村を一瞥すると、三成は無言で手近なダンボールに手を伸ばした。 ・・・それにしても、と部屋に転がっている荷物を見回す。 自分も人のことを言えないが、随分物が少ないシンプルな部屋となりそうだ。 元々ここは寮とは言っても相部屋ではない個人住宅で、また基本的な家具は付いている。 三成の住んでいる部屋は小さなキッチンとユニットバス付きであるが、こちらは付いていない物件のようだ。 だが、それにしても見当たるものは布団と本などと手持ちの鞄、あとは(怖くて開ける勇気がないが)洋服の入ったダンボール。 そして他よりは多少立派なCDコンポくらい。 音楽を好む者ならこれに力を入れるのは当然か、と思いながら、『文房具類』と書いてある箱の封を開けた。 開けてまず目に入ったのは、大量の五線譜。 次いで楽典、学術資料、作曲家について、といった諸々の本。 「・・・お前、作曲専攻か」 「はい」 知り合いの中に作曲専攻はいない。 自分達演奏家は作曲家の意図を汲み取ろうと常々演奏している。 そんな自分とは違う世界に、少し興味を持った。 そのとき、ふと幸村が口を開いた。 「三成さんはヴァイオリンですか?」 ・・・自己紹介をした時に専攻楽器まで言っただろうか。 いや、名前以外は自分のことを話していない気がする。 ましてや初対面の人間に、自分からそういった気の利いたことは言わない人間だ。 「・・・おねね様に聞いたのか」 「いえ」 返ってきたのは意外な反応だった。 幸村は別の箱から取り出した本を棚に並べながら言った。 「左の顎にある痣、ヴァイオリンやヴィオラを構えたときに出来る跡ですよね。 第二専攻楽器の練習程度では出来ないほど濃く残っていらっしゃるのでどちらかかと思いまして。 それに先ほどオーケストラの曲を聴きながら、ストバイ(1stヴァイオリン)の音に合わせて左指を動かしていたように見えたので・・・」 ・・・なかなかの洞察力だ。 確かに、楽器をやる者には特有の、仕事病とも言うべきものがある。 まあこれはスポーツ選手等にも言えることで、別段不思議なものでもない。 だがこの跡から適確に判断してきた。 人の挙動を不躾に見ている、と捉える者もいようが、三成はそうは思わない。 頭の良い奴との会話は好きだ。 余計な説明の手間が省けて楽だからだ。 その点今つるんでいる連中はそういう奴らなのかもしれない。 ・・・こういった考え方が、時に人から反感を買っていることに三成本人は気づいていないが。 思ったより話は出来そうだ。 物怖じせずに論理を組み立て、明快に話す態度も悪くない。 そしておそらく今とて、演奏家である三成に指への負担がないように、ダンボールの開封といった一人でも出来る作業を頼んだのだろう。 多少欠け過ぎているセンスが気になるが、三成はこの目の前の青年を見直す思いで眺めた。 「・・・癖だ、気にするな」 ほんの少しの口元の笑みは、長い前髪に隠されて幸村が気づくことはなかった。 黙々と作業を進めているとき、三成の携帯が鳴った。 メールではなく着信だ。 液晶を見て三成は少し電話を取ることをためらったが、溜息をつくと携帯を取った。 三成が声を発する前に向こうから騒がしい声が聞こえてきた。 「三成ぃ!! 繋がるとは珍しい! まさしく私とお前の義が結びついた瞬間だな!!」 「・・・切るぞ兼続」 電話に出るときくらい普通に出来んのか、と呟く。 幸村がきょとんとしながらこっちを見つめている気配が感じられた。 呆れているのに気付いているのかいないのか、相手の反応は変わらない。 「全く失礼な奴だな! 折角お前が見たがっていたコンサートDVDが手に入ったと連絡してやっているというのに!」 「・・・何」 「ははは、正直な奴だ。 今から来るだろう?」 「・・・う・・・、いや、今は駄目だ、後にする」 困惑したように三成が幸村の様子を伺うと、幸村は私のことはお構いなく、と笑った。 いやまだ途中だろう、大丈夫です、という問答に気付いたのか、兼続が不思議そうに尋ねる。 「・・・三成? 誰か他にそこにいるのか? 左近か慶次か?」 「左近はともかく何故俺が前田に会わねばならんのだ」 「本当にお前達はウマが合わんな。 違うのか、では誰だ?」 「・・・寮の後輩だ。 いろいろあってな・・・」 「・・・」 そういって兼続の反応を待つが、向こうからの返事がない。 こいつが黙るとは何かあったのか、と怪しんで三成は声を掛けた。 「・・・兼続?」 「〜〜〜〜〜〜っっ!! 三成いいぃいっ!!!!」 電話口から唐突に叫び声が聞こえ、三成は唖然としながら耳を電話から離した。 そのせいで幸村にも声が漏れる。 目を丸くして見つめ返してくるが、こちらにもよくわからない。 本当に理解できないことの多い友人だ。 「三成っ! 友が出来たのか!! 何故それをすぐに私に告げんのだ! それは不義だぞ!!」 「煩い、本当に切るぞ」 「よし、これは祝い事だ! すぐに私の家に来い! その友も連れて今すぐだ!!」 「・・・何を馬鹿なことを」 「DVD見たいだろう?」 「・・・う」 ちょっと待て、こんな会話以前にもなかったか。 確かおねね様に引越し作業の手伝いを強制された昨日・・・。 ・・・この展開はまずい。 このままでは昨日の二の舞だ。 ・・・だが、今回昨日と違うのは三成本人が本当にDVDに釣られているということだった。 この微妙な逡巡に気付いたのか、兼続はよし!と一言叫ぶとまとめに入った。 「うむ、それでは決定だな! その友にもよろしく伝えておいてくれ! 楽しみに待っているぞ!!」 「ちょっと待て・・・!」 ブツッと唐突に通話は切られた。 あっけに取られている幸村に、溜息をつきながら三成は言った。 「・・・ちょっと付き合え」 横柄な物言いだが、これしか言葉が見つからない。 言葉足らずな自分に気にすることなく、幸村は笑顔ではい、と答えた。 多少自分の都合であることに胸が痛んだが、そんなことはおくびにも出さず行くぞ、と幸村を促した。 後ろから付いてくる後輩を何となく構ってしまうのは、おねね様に頼まれたから、ということにしておく。 next→ 頭弱いキャラから始まったダサ幸だったのでちょっと補足ということで(笑) やっと兼続登場、相変わらずマイロードです。 2007.10.05up |