この隻眼に対しての反応は大抵2通りしかなかった。
恐怖して目をそむけるか、必要以上に同情されるか。
そういった反応をされる度に自分の心が冷え切っていくのがわかった。
かわいそうに、なんて言葉は陳腐で反吐が出る。

だからそういう輩がつまらない言葉を発した時、政宗は決まって言ってやるのだ。
貴様らの音楽など底が知れるわ、と。


「何じゃ、この姿に言葉もないか」


ふん、と鼻を鳴らして冷ややかな視線を向ける。
目の前の黒髪の青年と赤毛の少女は驚いたように顔を見合わせる。

今日会ったこの騒がしい一年生も同じだと思った。
……だが。


「いえ…ガラシャとしゃべり方が似ているなと思ったもので…」
「ひょっとしてわらわと出身地が同じなのかの??」
「…………貴様ら天然かばかめー!!!







ひとかけらの空 10






怒涛のガラシャの質問攻めに結局政宗もやかましいわ!と言いながらも名前を名乗らされ、ついでにガラシャ的にはダチの仲間に組み込まれたようだ。

政宗は指揮科とのことだった。
幸村は最近知り合った指揮科の兼続のことを思い浮かべ、指揮科について少し話を聞いてみたいなとも思っていたのだが、結局それは叶わなかった。

何故なら政宗はガラシャとウマが合わない様子だったからだ。

政宗は二人と仲良くなる気はないらしく、質問をされても殆ど反応を返さない。
しかしそれで引き下がるガラシャではなく、答えてもらえるまで何度も尋ねる。
結局根負けした政宗がいらいらしながら端的に返事をすると、それが嬉しかったのかガラシャから更なる疑問が出る。
また政宗は無視しようとする。
ガラシャは質問を続ける。

なまじガラシャに悪気がないため、無碍にできないのが問題なのだ。
幸村も、そして多分政宗も同じ感覚を覚えているのだろう。


そんな堂々巡りが続いた結果、入学式の前に散々騒ぐこととなり、初日から注意されてしまった。

政宗は「何故貴様らとまとめられなければならぬ!心外じゃ!」と不機嫌で、 式典の後教室に集まって行われたオリエンテーションの後政宗は「ついてくるでないぞ!」と声を荒げて去って行ってしまった。
ガラシャはその後ろ姿を見送りながら首をかしげる。


「政宗はどうしてあんなに不機嫌そうなのじゃ?」
「…少し疲れたんじゃないでしょうか」


同様に今日会ってからずっと質問攻めにあっていた幸村は少しだけその気持ちがわかって苦笑した。

クラスの人々は各々散っていく。
幸村も帰ろうかなと鞄の中身を整理しながらガラシャに「もう帰るんですか?」と尋ねた。

するとガラシャはにっこりと笑って元気いっぱいに答えた。


「わらわはこれから孫のところに行くのじゃ!」


今度は幸村が首をかしげる番であった。
この数時間でわかったことだが、ガラシャの話は時々飛躍していて理解するのに詳しい説明を必要とすることが多い。


「孫?」


幸村が聞き返すと「孫は孫じゃ!」というわかりづらい答えが返ってくる。
とりあえずもう少し状況がわかるまでガラシャの説明を待つことにした。


「孫はピアノがうまくてな、わらわにすごく合わせてくれるのじゃ!」
「孫は『礼なんかいらねぇよ』と言って聞かぬ。わらわは悪いと思っておるのじゃが…」
「孫のおかげでいつもわらわはレッスンの日に緊張せずにすむのじゃ!」


何とも支離滅裂な話だが、要するにヴィオラ専攻のガラシャのレッスンでピアノ合わせがある前には、その“孫”という人物に無償で練習に付き合ってもらっているらしい。
そしてピアノがすごく上手で、彼女が絶大な信頼を置いていることがわかった。

そこまで聞き出すのにかなり時間がかかったが、幸村はその手間より数日前の記憶が強く 思い出されて気にならなかった。

アルバイト明けに三成と練習室で交わした会話。
ピアノに思い入れがあるならと紹介された人物。

その人の名は。


少し逡巡したが、思い切って幸村はガラシャに尋ねた。


「その“孫”って人の本名、教えてもらえませんか?」


ガラシャは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔で言い切った。


「孫の名は…えーっとぉ…そう!雑賀孫市じゃ!!」


…やっぱり。

偶然にしては出来すぎな展開のような気がしたが、名前しかわからないその人物が目の前に現れたことに幸村は素直に感謝した。


数週間前、幸村の思いを聞いて声を荒げた三成。
まだ関わりを持ち始めて数日という短い期間であっただが、それでも冷静で頭脳明晰な人だと思っていたから正直驚いた。

あの時三成に吐露したことは嘘ではない。
上京してきてずっと抱えていたことだった。
他の人に言ったところで解決できることではない、と思い自分の中でずっと燻らせていた感情だ。
誰にも言うつもりはなかった。
自分でもどうして三成に話してしまったのか、今でもよくわからない。


兼続とはメールをするようになった。
他愛のない話から入学式に関する小さな質問まで、細目に連絡を取り合っている。
同じ寮の先輩とも親しくなったし、アルバイトも順調でうまくやっているつもりだ。

一方で三成とはあの日以来、一言も交わしていない。
廊下ですれ違ってもお互い視線を避けるようにして離れていく。


これでいい、と幸村は思っていた。

自分はまだ答えを出せていない。
中途半端な思いのまま、再びあの人の前に立ってはいけないと思った。

そして何より。

三成に、どうしても追いつきたかった。


どうしてそこまで彼の言葉にこだわるのだろうか、と自分でも思う。
あの時の自分を真剣に怒ってくれたその思いに応えたかったのかもしれない。
単に見返してやりたい、という反抗心だったのかもしれない。

だがそれらの思いに名前をつけることは、今必要ではなかった。

幸村はその内なる衝動に突き動かされるように、反射的にガラシャに頼み込んだ。


「…その人と話をすることは出来ませんか?」


突然の申し出にガラシャは目を瞬かせると、「むむむ…」と困惑したように答える。


「孫は『アポなしの男とは会わないぜ』とよく言っておる。わらわは孫が嫌がることをしたくないのじゃ…」


当然の反応だろう。
“孫”という人物のことを考えると二つ返事で断ってもいいところだが、クラスメイトとなった幸村のことについても気を遣い、困っているところにガラシャの優しさが見え隠れしていて、いい娘だな、と幸村は思った。

それでも。


「すみません。無理なお願いだとはわかっているんです。それでもどうしてもその人に会わないと…その人が答えをもっているかもしれないんです」


幸村も引くわけにはいかなかった。
申し訳ないと思いつつ、真っ直ぐに伝える。

ガラシャは暫く幸村を見つめた後、ひとつ尋ねた。


「幸村は困っていて、孫のチカラを必要としておるのじゃな?」


幸村が頷くと、ガラシャもまた決意したように一つ頷いた。


「ならばわらわに任せておくのじゃ!共に孫に会いに行こうぞ!」


胸をぽんと叩いて笑うガラシャに、幸村はありがとうございます、と微笑んだ。





足取り軽く練習室の廊下を駆けていくガラシャの後を追いながら幸村はその規模に感心した。

廊下こそ簡素な作りであるが、各部屋は十分な防音設備を備えており、始業式に関係のないと思われる在学生が室内にいても全くその音を感じさせない。
ここは2階であるが3階にも同様の作りになっているらしく、学生がよっぽど集中しない限りほぼ思い通りの時間に利用できることが想像できる。

そんな風に物思いにふけっていると、前を行くガラシャがきょろきょろと周囲を見渡した後「ここじゃ!」と弾んだ声で幸村に声をかけてきた。

取っ手に手を掛けたガラシャの後ろから部屋の中を覗くと、ピアノを弾いている人影が見える。


「孫ー!入るぞ!」


ガラシャがノックしながら一声かけて防音扉を開け放った。


その時幸村の耳が捉えたのは独特のリズム。
この大学が主導するクラシックとはかなり違う、しかし確かに惹きつけられる音。

ピアノの譜面台には楽譜が置かれていなかった。
ゆったりと感情のままに演奏する指先。

この音楽は。


(もしかしてこれは…、)


その答えに行き着く前に、ピアノの前に座っていた人物が立ち上がる音で現実に引き戻された。
同時に幸村が惹きつけられたその音が止まってしまい、少し残念に思う。


「孫!遅くなってすまなんだ」


ガラシャがぺこっと謝ると男は手をひらひらと振りながら「気にすんなって」と飄々と返事を返してきた。

長身の幸村と同じ程の身の丈に、濃紺のブラウスを身にまとっている。
幸村と同じ漆黒の髪は無造作に頭の後ろで束ねられている。
顎には無精髭をはやしているが、少し下がった眉尻と相俟って親しみやすさを出していた。


「よう、お嬢ちゃん。こんな日にまでレッスンとは相変わらず真面目だね。しっかし始業式ってのは案外時間かかるもんなんだな。待ちくたびれちまったぜ…って、後ろの奴、誰だ?」


にこやかにガラシャに応対していたときとは打って変わり、訝しげな顔で幸村を見る。
突然お邪魔することとなった幸村は気まずさで体を小さくしたが、ガラシャは気にすることなく孫市に紹介する。


「ダチの幸村じゃ!」
「あ…真田幸村と申します。突然お邪魔して申し訳ありません」


ガラシャの言葉の後を引き取って自己紹介するが、孫市の表情は晴れぬままで、困ったように頭を掻いた。


「お嬢ちゃん、アポなしの男はお断りだって言ったろ?」


しかしそんなことでガラシャは引き下がらない。
頬をぷくっと膨らませると口をとがらせて抗議した。


「じゃが孫はいつも『困ってる奴と女性の味方だ』って言っておるではないか!幸村は困っておるのじゃ」
「まあそれはそうだけどよ…」
「わらわはダチの力になってやりたい。それはいけないことか?」
「おい、それは論点変わってねぇか?」
「孫はダチのわらわの力にはなってくれぬのか?」
「あーもうわかったよ!」


ガラシャの大きな瞳に見つめられてついに孫市は白旗を挙げた。
なんだかんだ雑賀孫市、お人よしであった。

その答えを聞くと、ガラシャはぴょんぴょんと跳ねながら「孫は誠にいい奴じゃ!」と手を叩き喜ぶ。
そんな彼女を早く準備しな、と机のほうへ向かわせた孫市は、一つため息をつくと幸村に向き直った。


「で、なんだっけ。真田幸村っつったか?」
「あ、はい…すみません」
「ん?ちょっとまてよ。…ああ、秀吉の言ってた奴か」


話しているうちに何か思い出したのか、孫市はふーんと言いながら幸村をじろじろ見つめる。
居心地悪そうに身を小さくする幸村。
しかしそれもつかの間で、まあいいわ、と呟いた孫市がピアノのほうへ体を向けたことで解放された。


「とりあえずお嬢ちゃんのほうが先約なんでな。適当に待っててくれ」


弓に松脂を塗りながらガラシャが今までの溌剌とした笑顔から一転、少し緊張した面持ちで呟く。


「今日はお客さんがおるのか…緊張するのう」
「ま、いいじゃねぇか。どうせコンクール用の曲なんだろ?」


椅子に座った孫市が手首をくるくると回しながらガラシャに笑う。


「とりあえず、一回通しでいこうぜ」


こくんと頷いたガラシャは、譜面台を直して一つ深呼吸すると、幸村に向かって精一杯優雅にお辞儀をした。

幸村が拍手をすると、少し恥ずかしそうに笑って孫市の方を向く。
ペダルに足を掛けた孫市が小さく頷くと、ガラシャが大きく息を吸った。


音楽家の卵の、小さな演奏会が始まった。















next→


















幸村のガラシャに対する口調がわからないので一応年上&家柄良いということで丁寧語に。
この先直すことがあったら笑ってやってください…。
ガラシャと孫の会話はほのぼのしてかわいいと思いますv









2010.11.14up