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これはいかん。 実にいかん。 腕がしびれた。 しびれわな ことの始まりは、政宗自身の子供じみた好奇心からであった。 「孫市。腕枕なるものがしてみたい」 「お断りだ」 稚気をはらんだ政宗の提案を、気だるげに布団に沈み込んだまま、にべもなく孫市は退けた。先ほどまでの行為の名残か、顔はうっとりと惚けているくせに、口はやたらにきっぱりとしている。 これは聞く耳をもたんな、とさっさと見切りをつけた政宗は、寝そべったまま、孫市の頭をぐいと己の左腕、もっと言えば肩の付け根のあたりに引き寄せた。そのまま額に口づける。 「ふむ。悪くはない」 「お前人の話聞いてた?」 「聞いておる、安心して寝ろ」 「聞いてないだろ」 ぞんざいな物言いのわりに抵抗もせず、おとなしく体重を預ける孫市に、政宗は大変に満足をした。 肩にかかる重みが、そのまま安心の重さのようで心地が良かった。 気だるさと瞼が重いのとで動く気にならないだけであろうことはわかっていたが、政宗は無視した。 ものごとは自分に都合よく解釈するに限る。彼は元来前向きな男であった。 「あのなあ、男に腕枕してなにが楽しいんだ? 重たいだけだろ」 「嫌なのか」 「……そういう聞き方はずるい」 「そうか、好きか」 「誰も好きとはいってねえ」 ここでも政宗は都合よく受け取ることにした。孫市がため息交じりに目を閉じる。 押し寄せる眠気には勝てなかったようで、もう勝手にしろ、腕がしびれてもしらねえぞ、と徐々に口もおぼろになりながら、政宗に頭をすりよせてくる。 無意識のしぐさに心くすぐられながら、政宗は空いた右腕で柔らかく孫市の背中を抱いた。 間もなく聞こえてきたかすかな寝息に、政宗もゆっくりと目を閉じた。幸いを感じていた。 ――わしも若かったということよ。 ことの次第を思い返しながら、政宗の頬はひきつっていた。 あたりはまだ暗く、夜の静けさに包まれている。暁にはまだ遠い。 あれから一刻ほどか。腹具合から眠っていた時間にあたりをつける。 傍らで孫市は微動だにせず眠っていた。寝顔は穏やかだ。 穏やかで結構、男冥利につきる。それはいい。それはいいのだが。 しびれている。 孫市の枕となっている左腕が、それはもう盛大に。 しびれている、凄絶にな!などと言ってたまるか馬鹿め! 長時間同じ体勢をとっていたせいで凝り固まった体と、感覚のない腕に動揺しながら、政宗は血迷ったことを思い浮かべた。 どこぞの蝙蝠が頭の中で得意満面な笑みを浮かべていた。腹が立った。 どうして目を覚ましてしまったのだ、このまま朝まで寝てしまえば良かったというに! そう思いながらも政宗は決して動いてなるものか、と他でもない自分自身に誓っていた。 己からやりたいと言い出したにも関わらず、腕がしびれた程度で投げ出してたまるか、情けない。 わしが少しでも動けば、眠りの浅い孫市のこと、絶対に起きる。確実に起きる。 この寝顔と温もりを失うのは惜しい。 そして起きたが最後、ほーら、やっぱりしびれてるんじゃねえか、やせ我慢すんな、この体勢はもうおしまいな、などと言いかねない、いや、確実に言うであろう。 そうなればわしの至福の時間は終わる。一刻前までの幸せの重みが消えてしまう。 まさにその幸せの重みに苦しめられながら政宗は唇をかんだ。くだらない男の意地だった。軽く冷や汗が出ていた。 一度体勢を立て直すという建設的な考えは今の政宗の中にはない。自覚がないだけで、多分に彼は寝ぼけていた。 だがしかし、思い立ったらちょっとやそっとでは引かない男である。 孫市が自然と目を覚ますまで、もしくは寝返りをうつまで、なんとしても今の状態を維持すること。 それが現状の政宗の政宗による政宗のための使命であった。 寝返り、そうだ、寝返りだ。寝返りをうってくれさえすれば、その機に乗じて腕のしびれを取ることができよう。 孫市の動きに合わせ慎重に頭を腕から外し、念入りに血液の循環を良くした後、やれやれ勝手に離れよってと、何事もなかったかのようにもう一度抱き寄せればよい。 何ならもう少し体重のかからない体勢をかんがみてやってもよい。至高の体勢を模索するのだ。 そうだ、そうしよう、その手があった、と政宗は一筋の光明を見出した。 見出したが、すぐに絶望した。 雑賀孫市は、極端に寝返りが、少ない。 飄々としていても一流の傭兵であるこの男、戦場の近くでも気配なく身体を休められるよう身に付けた習性か、微動だにせず睡眠をとることができる。 床を共にすることがある政宗はよく知っていた。 布団の中でも下手したら、寝返りは朝まで数えて、おそらく一度あるかないかである。 眠りについた時と、目覚めの時、全く同じ体勢だったこともままある。 初めはたいそう驚いた。 晩から朝まで自分の傍にぴたりと寄り添ったまま離れなかった孫市に、そこまでわしから離れとうなかったのか、と感動したこともあったが、そんなことは全くなかった。 孫市は純粋に動かないでいることができただけであり、政宗としては誠に残念なことに、そこにかわいらしい他意はなかった。 そのことについて当の孫市は、ああ、癖なんだよなあ、起きたらすぐ身体はほぐれるし別に平気と、こともなさげに笑っていた。 こやつの身体は特別血の巡りがよくつくられているに違いない、口が半開きじゃぞ愛いやつめ。と、取り留めもなければつながりもないことを考えて現実から逃避しながら、政宗はぐるぐると思考をめぐらす。 わしは数少ない機をすでに逸したのか? それともこれからそれは訪れるのか? 一晩に一度あるかないかの絶好の機は。 感覚などとうに失せ、ぼんやりとした左手の先を、振動に最大限の注意を働かせながら、そろりと握る動作を試みる。 動いているのかいないのかもうまく判断がつかなかった。しびれを自覚すればするほど、血をめぐらせたい欲求にかられる。 ここまでのしびれは想定外じゃ。こうなるとわかっておれば…いや、それでもやっておったなわしは、と詮無いことを考えてみるが、いいや、お前ならそのしびれを想定できたはずだぜ、ていうかそれでもやるのかよ、と諭してくる相手は今眠りの中にある。 政宗はおもむろに念じてみた。孫市の顔を苦悶の表情で見つめた。 寝返りをしろ。するのじゃ孫市。 孫市。後生だから頼む。孫市。 う、と小さく声をもらしながら、孫市はひときわ大きく息を吸った。すり、と鼻先を政宗に寄せて小さくみじろぎをする。 政宗の身体が期待に緊張する。 おお、動くか孫市。わしの念力も捨てたものではない。 よし、そうじゃ、そのまま寝返りをせい。いいぞまごいちあいしているまごいち。 政宗はさらに念じる。左目をめいいっぱい開いて凝視した。 見つめれば思いが届く気がした。熱い思いだった。 孫市が息を深く吐き出した。 しばしの静けさに耳がしんと響く。 政宗の額をじわりと汗がにじんだ。 孫市の頭は、動かない。規則正しい呼吸に胸が上下している。 ――無理だな。 政宗はすがすがしい笑顔で寝返りへの未練を断ち切った。 独眼竜の威厳は見る影もなかった。 だが当初の目的を諦めるほど、政宗は諦めがよくはない。 寝返りが駄目ならお前が自然と起きるまで待つまでよ、孫市! 気を紛らわせるのだ。楽しい、悲しい、腹立たしい、なんでもよい。 気を紛らわしておれば時間も過ぎよう、あわよくばもう一度眠れるかもしれん、いや、それは無理だ、いいや、わしは諦めぬぞ。 意気込んだ瞬間、はっはっは、これも愛の試練だな山犬!とどこぞの愛と義の嵐の顔が頭に浮かんだ。 不愉快この上なかった。政宗の眉間のしわが深く刻まれた。 むかむかとした気分を鎮めるべく、政宗は目の前の情人に意識を向けた。 まつ毛の長さを改めて感じる距離から、政宗は孫市の顔を見つめる。 鼻梁はすらりと通り、深い彫が刻まれている。至近距離からだと、その立体感がよくわかった。 日に焼けた肌は健康的で、はりがあり、ひとたび口づければ思いの外やわらかいことを政宗は思い出す。 厚みのあまりない唇は、うっすらと開かれ、赤い舌が潜んでいる。 首筋から下に視線を落とせば鎖骨がくっきりと骨ばっていた。肩はがっしりとしているが、線は細くなだらかだ。 見れば見るほど、妙な色気が感じられる男だった。 よし、落ち着いてきた、この調子だ。 政宗は一度静かに息を吐いて、もう一度視線を孫市の目に落とした。 眉尻と同じ様に、眠たげに少し垂れた瞳は、今は閉じられている。 この奥にのらりくらりとした、しかし戦国を生き抜く強い意志が湛えられていることを、政宗は知っている。 そしてその意志は己と共になければ容易く消え失せてしまうことも。 かすかに震えるまつ毛に、思わず口づけを落とした。 鼻先を、湯あみ程度では到底消えない、わずかな火薬のにおいがくすぐる。 この男の生きてきた証だ。 そう思うと、愛しくてたまらなかった。 このまま口吸いをして、起こしてしまおうか、それもよかろう。 さすればしびれからも解放される。そうじゃ、しびれ……。 その連想が運のつきだった。左腕は未だかつてないしびれを思い出した。 政宗は声もなく悲鳴を上げた。なぜ思い出してしまったのじゃ馬鹿め!わしの馬鹿め! 思わずはね上がってしまいそうな体を、意地でもって布団に縛り付ける。 かようなつまらないことで起こしてはたまるまい。起こすのならばせめて口吸いを。 情けなくも涙目で孫市に視線を向けた政宗は、その時、願ってもいない好機に歓喜した。 孫市の頭がむず、と動き、ずるずると布団におちた。そのまま政宗に背を向ける形で転がり、しばしの後、穏やかな寝息が聞こえてくる。 孫市が、うった。寝返りを、うった。 肩で止められていた政宗の血が、どくりめぐりはじめる。 ようやった孫市!それでこそわしの孫市じゃ!わしもよう耐えた!さすがわし! 血の巡りが解消された喜びか、孫市と己の忍耐への賞賛のせいか、はたまた深夜特有の高揚か、とにもかくにも政宗は歓喜した。 いずれにしろこれで形勢逆転じゃ、腕のしびれを十二分にほぐしてのち、やれやれ、いつの間に離れおったのか愛いやつめ、という体裁で攻勢を仕掛ける! 待っておれ、孫市! 不利だった自軍の士気を上げる政宗の横で、孫市はできる限り穏やかに、規則正しすぎる寝息をたてていた。 ちなみに政宗は、実は孫市が薄目で政宗の百面相を観察していたことも、腕がしびれても体勢変えたくないなんて馬鹿な奴だなと内心にやにやしていたことも、面白いからとしばらく政宗の様子を堪能してから折よく寝返りをうったことも、今だって目を瞑りながら伸びてくる腕を期待していることも、何一つ知らないでいる。 雑賀孫市はとんだ狸であった。 end. 腕枕はロマンだよね! 真剣に馬鹿やってる政宗と、それを馬鹿だなぁ、かわいいなぁって思ってる孫市って萌える。 2012.10.19up |