夜中にふいに目を覚まして、重い瞼も開ききらぬまま、孫市は傍らにあるはずの熱を手探りで求めた。目当ての温もりにたどり着かぬ手が、もの哀しく褥をすべる。いない。
胸のあたりが、がらんとなった。近頃めっきり冷たくなった風が吹き込んで、寒くて仕方がない。いない。掛布を抱き込んで身体を丸めながら、孫市の目はそれでも、先ほどまで情を分け合っていた男の姿を探した。
月明かりに、煙をくゆらせる後ろ姿がぼんやりと浮かび上がっているのを、頼りない目が捉える。その背中に思わず縋りつきたい衝動にかられて、これはよろしくない、と孫市は思った。

心がよわった夜はろくでもないことを考える。
たとえばあの手が、あの温もりが、いつ薄情なそれに変わるのか、だとか。



ああ、これはよろしくない。





煙にして






煙管を灰吹のふちにこつん、と打ち付ける政宗の指先の動きを、孫市は一人夜具に寝そべったまま見つめていた。流れるような所作で空吹きし、灰を飛ばした政宗は、そのまま火皿に刻みを詰めこむ。雁首を火入に近付けて、今一度ゆったりと煙をすった。

少しだけ開けられた障子の隙間から、煙がゆらり、逃げて行った。

「政宗、寒い」
「煙いのとどちらが良い」

孫市が目を覚ましていたのを感じ取っていたのか、政宗はさして驚きもせず言葉をつないだ。吸わねえっていう選択肢はないのかよ、喉元まで出かけた言葉を飲み込んで、孫市は、さむい、とそれだけ返す。
緩慢な動作で政宗が振り返った。畳に伸びた影を孫市は目で追って、さむい、政宗、とかすれ声で繰り返した。
暗闇で金を帯びる左目が、じっと己を見つめている気配がして、孫市はぞくりとした。

政宗は一際大きく煙を吐き出して、こつん、とまた灰を落とした。 火をつけたばかりだというに、もったいない、ぼやきながら、孫市の傍らにすべりこむ。
そのまま孫市を抱き込んで、これで良いか、と存外優しい声音で確かめた。
言外の要望をまさしく言い当てられて、孫市は居たたまれなくなった。

「…つめてえ」
「お前は暖かだな」

ちょうどよい、と政宗は喉の奥で笑った。漂ってきた真新しい煙草の匂いに、孫市はすん、と息を吸い込む。

「お前も良く飽きないね」
「飽きんな。それどころか癖になる」

西班牙だかどこだか孫市は詳しく知らないが、日の本のはるか西国から買い付けたこの薬を、政宗はたいそう気に入っている。朝も昼も晩も、飽きもせず煙をくゆらせては物思いにふける政宗の姿を眺めるのが、孫市はひそかに好きだった。
片膝を立て、常の凛とした姿勢をかすかに崩し、煙管を口元に運ぶその佇まいに、男の色気とやらを感じてしまって、孫市としては嬉しくも、悔しくもある。
年若い政宗の、若さゆえの熱さだとか苦悩だとか清々しさだとか、とにかくそういったものを見守り、時に救われてきた孫市にとって、政宗が垣間見せる男の側面はとても眩しい。
ひび割れそうだった器が日増しに強固に、そして大きくなっていく。
その傍らに身を置くだけで、孫市はこれからを生きていける。

自分よりいくつも年下の男に、依存にも近い情念を抱く己が、ひどく滑稽だった。
だがそれ以上に、雑賀孫市は伊達政宗という男に惚れこんでいる。認めたくはないが、事実なのだから仕方がない。


だから、孫市は怖かった。

――お前はいつ俺に飽くんだろうな、政宗。


竜はいずれ風雲を得、天に昇るだろう。孫市には確信があった。
政宗は何か大きなことをやってのける。
その時に己はどのような心持でその姿を見上げるのだろうか。竜が飛び立った地上から。


「孫市」


政宗が、孫市を呼ぶ。周囲の忠臣が聞いたら目をそらすような、低い、夜の声だった。
呼ばれて、意識を引き戻された。欲した温もりに包まれても、まだかような思考にとらわれてしまうとは、やはり、よろしくない。

政宗は孫市の身体に乗り上げながら、頬に手を添えた。
政宗の手は、冷たいままだ。ひやりとした感触に、孫市は手の平に顔をすりよせた。体温を分け合うように柔らかく。
親指の腹でいたずらに唇をなぞられ、お返しとばかりに指先を甘く食んだ。
政宗の唇が柔らかな弧を描いたのを見て、孫市は政宗の首に腕を回す。
鼻先が触れ合うような近さで、政宗は言った。

「わしは飽きぬぞ」

何に?とは孫市は聞けなかった。
件の薬の話にしては、政宗の目は真剣さをたたえていたからだ。
己を見下ろす左目に、女々しい心の内が見透かされてしまいそうで、孫市は笑った。
その笑みが気に食わなかったのか、政宗に唇を噛みつかれる。
犬歯が孫市のかさついた下唇にじわりとくいこみ、舌が撫でるように追い詰めた。笑みを作る余裕も与えぬほど、好き勝手に口の中をむさぼられて、孫市は嫌でも理解した。
煙草の話などでは、ない。
唇をようやく解放して、互いの顔を近づけたまま政宗は言葉をつづけた。吐息が顔をかすめ温かい。

「それとも孫市、お前が飽いたか」
「……飽いたならここにはいねえよ」

はぐらかそうかと逡巡して、孫市はついぞ諦めた。
思惑通りの返答に、政宗は満足げに目を細める。
今夜はどうにも勝てる気がしない。
男としての矜持も年上の面目も、何もかもあったものじゃない。
それが悔しくて、孫市は政宗の鼻先に噛みついてやった。それに政宗が浮かべていた笑みを深めるものだから、孫市はたまらない。

「お前も吸うてみるか? 存外癖になるやもしれんぞ」
「これ以上癖になっても困るってもんだぜ」
「ほう? もはや欠かせぬか」
「お前こそ」

他愛もない言葉遊びに興じながら、互いの片手を絡みつかせる。手も大きくなったもんだなぁ、と孫市はぼんやりと思った。
しっかりと節くれだった、けれどそれでいてしなやかな手だった。
どうにも愛おしくなって絡んだ指先に口を落とせば、政宗の空いた手が着物の合わせをするりとかいくぐり、孫市の肌を這った。そのまま首筋を甘噛みされて、孫市は身をよじる。
自由になる右腕で、政宗の頭を抱き込んだ。
胸のがらんどうが満たされていく心地に、本当に癖になって困る、と我がことながら孫市は呆れるしかなかった。
好いた飽いたと、些細な感情に振り回される己の小ささにまた笑った。
政宗は、今度は噛みつかなかった。代わりに両腕で、孫市の身体を包み込む。

孫市にはそれだけでもう、十分だった。
すっかり見透かされた虚ろが、煙となって消えてゆく。

なぁ、政宗。わざとらしく甘えを響かせ、政宗の髪をなでた。
耳の裏をなぞり、頬までなだらかに辿ると、政宗が顔を上げる。

幼さのかけらもない凛々しさに、孫市は思わず見惚れながら、「どうせ吸うなら」とささやいて、こちらが好いと口づけた。


朝昼晩と癖になる。どうにも飽きる気配もない。

よろしくないね、と孫市は笑った。














end.

















感傷的な夜の話。煙みたいに癖にして、煙みたいに消してしまって。
政宗はすっかりお見通し。









2012.10.26up