まご、まご、まぁご。
鈴の音のような少女の声が遠くから響いて、孫市はうっすらと目を開けた。

見慣れぬ天井をぼんやりと眺めながら、柔らかな布団の感触を確かめて、はて、昨夜はどこの女の元に転がり込んだのだったかと頭をかく。
――ここはどこだ。傭兵らしからぬ無防備さのまま部屋をぐるりと見渡すと、簡素だが質の良い調度品や、己の脱ぎ散らかした着物が目に入る。大事な相棒だけは眠りに落ちる前そこそこに手入れをしたのか、畳の上でずしりとした存在感を放っていた。
敷布に放り出した身体がじんわりと重い。幾度経験しても慣れぬ、戦の後の気の抜けた重みだ。
障子の隙間から差し込む朝日が今日はやたらに眩しい気がして、孫市は目を細める。

鈴の音が、聞こえる。りんりんりんと足早に大きくなって、近づいてくる。

まご、まご、まぁご。
可愛らしい声には似付かない、ばたばたとした足音と一緒に。

「まご、まご! 起きるのじゃ孫! 朝餉の支度が整っておるぞ!」


思い切りよく開けられた障子が外れやしないか、孫市は少し心配になった。






愛し鈴の音、恋し子らよ






「……あのなぁ、嬢ちゃん。起こしてくれるのはいいんだが、もう少し穏やかにできんもんかね」

障子の前で仁王立ちする少女を、孫市は寝そべったまま見上げた。
起き上がるのもおっくうだった。こらえきれないあくびに大口を開ける。
顎をさするといささか伸びすぎた鬚が心地悪い。

「ほむ? 起きておったのか! ならば早う行こう。元親たちも待っておるぞ」
「いいねぇ、いつも通り俺の話聞いてねえな」

朝から音量も全開な少女に、孫市は苦笑した。と、同時に少々安堵もした。
戦の血なまぐささも嗚咽も恐怖も、彼女の明るさを損なうには至らなかったことに。
朝早く元親が海に連れて行ってくれた、美味しそうな魚が膳に並んでおった、わらわも少し手伝った、と嬉しそうに報告するガラシャは、今日も今日とてにぎやかだ。
土佐の主を呼び捨てにする豪胆さに、散々「ちょうそかぶ」だとか間違えられていたから元親自身が諦めたのだろうなとあたりをつけながら、孫市はゆっくりと起き上がった。
いくら「ダチ」といえど、年頃のお嬢さんにだらしない恰好は見せられまいと、すばやく着衣の乱れを整える。

すると「まご!」とガラシャが声をあげた。

「御髪が大変なことになっておるぞ!」
「ああ、昨日は水かぶって寝たからなぁ。適当に結わねえと座には上がれねえか」

そう言いながら髪を整えるべく結い紐を口にくわえ、髪に指を通していると、ガラシャがその大きな目を輝かせた。
孫市はひどく嫌な予感がした。

「まご!」
「……なんだよ」

くるぞくるぞ、この目はくるぞ、と身構える。身構えたところで無駄なのは経験から知ってはいたが、毎度身構えずにはいられない。

「わらわが結わいてしんぜよう!」

ほうらね、と孫市は一人ごちて、早々に諦めた。きらきら光っている目に逆らうと、ろくなことはない。それに彼女が近頃髪結いに凝っていることも、誰ぞ練習台にならぬかと目を光らせていることも、孫市は短くない付き合いの中で知っていた。少女らしい、かわいらしいお願いを、そっけなく断ることもあるまい。
気付かれないように小さく息をはく。

「仕方ねえな…頼むわ」

その言葉にガラシャはぱっと顔を輝かせた。
いそいそと孫市を自分の前に座らせ、どこからか愛用の櫛を取り出して、得意げに言い放つ。

「うむ。して、どのような髪形をご所望じゃ?」

意気揚々とした表情に孫市は口元を緩める。こりゃ狙ってたな、かわいらしいこって。
だけどこういうのもわるくない。特に硝煙の臭いがきつい朝には。

「普通に頼むよ、普通に」
「ふつうではつまらんのう」

そう言いながらも、ガラシャの手は迷いなく孫市の髪を梳くっていく。
おお、孫の髪は存外柔らかいのう、もっと硬いのかと思っておった。
父上のさらさらも素敵じゃが、孫のふわふわも楽しいのう。
なんともご機嫌な声が、孫市の頭の上で響く。
鈴の音のようだった。まご、まご、まぁご、と楽しげな。
頭をなでられる感触というものは、何ゆえにこうも眠くなるのだろうか。
孫市は大きくあくびをした。
わるくない。
幼い手が、丁寧に髪をまとめていく。
うまくまとまらんのじゃ。孫の御髪は難しいのう。

ああ、手が、とても小さい。
東北にいる生意気なお子様の手がふいに思い出されて、孫市は目を閉じた。
わしも連れて行けだの土産は鯨なるものが良いだのなんだの、無理難題を吹っ掛けて、使い込まれた木刀を手に暴れていたのを思い出す。
最終的には、いじけて丸まった布団に声をかけて屋敷を出た。
意地でも顔を見せなかった根性だけはあっぱれだと孫市は思う。側近殿の困ったような顔が印象的だった。
土佐も一段落したようだし、そろそろ北に足を延ばしてみようか。
あいつも少しは大きくなったかもしれない。
いつぞや見たときは、木刀を振り下ろす姿がなかなか様になってきていた。己の銃刀や火縄を見て目を輝かせていたから、そろそろ触らせてみるのも面白いだろうな。
大きくなったな、だなんて頭をなでれば、馬鹿にするなと木刀が飛んでくるだろうが。

子供はどこでもにぎやかだ。にぎやかなほうがいい。
自然緩んだ身体に、戦が終われどもどこか緊張し続けていた己を知った。
本当にわるくないな。孫市はゆっくりと目を開けた。朝の光は相変わらず眩しかった。


「ずいぶんと楽しそうなことだな」


背後から低い声がとんできて、孫市は、おわ、と情けない声を出した。
おお、元親、とガラシャがのんびりとこたえる。
わざと気配を消して近づいてきたのであろう、いたずらが成功した子供のような顔で、元親は孫市を覗き込んだ。

「くそ、いつのまに……」
「お前が遥へ思いを飛ばしている間に」

男にしては整いすぎている顔が、愛嬌良く笑っている。
顔が近い、離れろ、と悪態をつきながら、傭兵になりきれていない己に呆れた。
背後を簡単にとられるとは情けないにもほどがある。
元親はなおも笑っている。しばし居座ることにしたのか、孫市の側に腰を下ろした。

「できたのじゃ! どうじゃ、孫」

ぽん、と手を叩いて、ガラシャがにこにこと顔をほころばせる。お気に入りの小さな手鏡を孫市にかざした。

「おお、よくできてるじゃねえか、ありがとよ」

丁寧に梳かされた髪は、孫市の後頭部で一つに結ばれている。
首を動かせば、長めに垂らした結い紐と髪の束が、動物の尾のようにゆらゆらと動く。
うなじの後れ毛はご愛嬌だ。
うまいものだ、と元親にもほめられて、ガラシャはたいそうご満悦だった。

「しかしまあ、懐かしい髪型にしてくれたなぁ」
「ほむ? 懐かしいのか? 前はこの髪型じゃったのか? 教えよ!」

普段通りの教えよ攻めに、普段通りの余裕を返して孫市は言う。

「髷を結わずに、こういう風にくくってた時期があるんだよ。でもなあ」

でも?でも?と間髪いれずに問うてくるガラシャを、さも微笑ましいと眺めている元親が見えた。そういえばこいつにも同じ年頃の息子がいたな、とぼんやりと思い浮かべる。

「引っ張ってくるやつがいたから、やめちまった」

後頭部の髪を、ゆらゆらと手で遊びながら、孫市は言う。
気をひきたいときなんかに、こうやってな、とせっかくの髪を崩さぬようやんわり引っ張った。

「む? それでは痛くないのか? 御髪を引っ張られたら、わらわは痛いのじゃ」

孫市がこらえきれずにふきだす。

「そりゃそうだ。痛いからやめちまった。ま、子供のすることさ。別に怒るようなことじゃない。かわいいもんだ」
「誰じゃ?」
「は?」
「だから、孫の髪を引っ張った不届き物は誰じゃ? わらわが成敗してしんぜよう」

ガラシャは正義感に満ちた顔で胸を張った。手に持った櫛と手鏡を、武器よろしく振りかざす。
これには元親も黙っていられなかったらしい。 良く通る声で、見た目とは裏腹な豪快さで笑う。
つられて孫市も笑った。可愛らしいものを見ると笑えてくるのは、大人の特権なのだろうか。
孫市は元親とそっと目を合わせた。

「な、なぜ笑うのじゃ孫、元親! わらわは心配しておるのじゃ! 孫! 教えよ、誰じゃ!」

そうねえ、と笑いを口元に残しながら、孫市は答える。

「北の地のまだ小さな殿様さ。いつか面白いことをする。きっとな」
だからたまに会いに行くんだ。

そう言った孫市の顔はとても穏やかで、とても大事なものを思い出している顔だ、とガラシャは思った。
胸がほっこりとするような、愛おしい暖かさだ。
元親は隣でまだ笑っている。こちらも柔らかな顔つきだ。
屋敷にいるときの己の父親に似ているような気がした。
たまこさん、と優しく語りかけてくる、大好きな父上に。
孫市も元親も、先日までの、戦場で嫌というほど見ていた険しい表情は見る影もない。
それがなんだか嬉しくて、ガラシャも笑った。

「孫は、そのもののことが大好きなのじゃな」
「……は?」

和やかだった孫市の顔が、ぴしりと固まるのをガラシャは感じた。
ふむ、なにかおかしなことを言うたかのう、と満面の笑みを浮かべながら孫市を見つめる。
孫市はしばし目を泳がせて、
「いやいやいやいや、大好きって…。そりゃ気に入ってるけど、大好きって言われると気持ち悪いな」

ぶつぶつと否定し始める孫市に、面白いおもちゃを見つけたとばかりに元親は目を光らせる。

「何も隠すことはないぞ、雑賀孫市。お前のかの者への熱き思い、受け取った、凄絶にな」
「そうじゃぞ、孫。大好きなのじゃろう、凄絶にな!」
「何だこれ、新手の傭兵いじめか? そろそろ出ていけってことか?」

あー、もう!と一際大きく孫市は言うと、目元を抑えて天を仰いだ。
頭の後ろで尻尾が揺れて、それを見たガラシャも楽しそうに笑った。

鈴の音がなるようにころころと笑った。

助け船を出すように、
「そろそろ朝餉とするか。奥を待たせてある」
と元親が言えば
「そうじゃな、わらわはお腹がへったのじゃ」とガラシャも立ち上がる。


行こう、まご。
まご、まご、まぁご。
先に行っておるぞ。



鈴の音と二つの足音が遠のいて、孫市はようやく立ち上がった。
寒いのは嫌いなくせに、北の地がひどく恋しかった。


















おまけ


「本日はいかがいたしましょう」
「普通でお願いします」

この間の一件で、人の髪を弄るのに味をしめたらしく、機会があるごとにガラシャは即席髪結い師に変身するようになった。近頃は小さな三つ編みを編みこんだり逆毛を立てたりと、なかなか手が込んできていて、すげえなぁ嬢ちゃん、などとうっかり褒めた日には、男として目も当てられない頭に変貌する。
しかもその腕の上達ぶりには、己の整髪に一刻かけていてもおかしくはない反骨の男・元親が一枚も二枚も三枚もかんでいることに孫市は呆れた。

「孫、これはどうじゃ? お濃様風じゃ! これで孫も魅惑の色気を手に入れるのじゃ! うなじは強調すべきと元親も言うておった!」
「上等! 魔王すらも陥落する妖艶さでお前も時代を凄絶に意志するか!」
「普通でお願いします」
「ふむ、では、これはどうじゃ? お市様風に清楚さを残しつつ、後ろで凛と結いあげてみたぞ!」
「ひげ面の男に清楚という言葉をかけ合わせるか! その反骨の魂、この俺が見届けた! 凄絶にな」
「お市様風ってか、左近風じゃねえか。それか慶次風。髪飾りとっていいか」
「だめなのじゃ!」「それはだめだ!」
「なんであんたらは結託してるの」














end.

















クロニクル2、四万十川の戦いの後の設定で。
子供の暖かさとそれを見守る人たち。
ガラシャを少し幼くしてみました。
ガラシャと信親の年代も近いし、元親がガラシャを娘みたいに可愛がってたらいいなー、という妄想。
そしてそこに政孫要素をねじこむのが私のジャスティス。
孫市さん、クロニクルでは輝宗の時代から伊達家に入り浸っていたみたいなので、孫市がちび政宗に出会っててもいいじゃない、色々教えてあげればいいじゃない。









2012.11.25up