庭の梅のあまりに見事なのを、手なぐさみに一枝折ってしまった。
手折られた花がさびしげにふわりと香って、とたん己が酷い無体を働いた男になったような気がして、
これは誰かうつくしい人に愛でてもらわねばと思い立った。
すぐに思い浮かんだ顔が、妻や妾や、数いる女たちの華やかな顔でなかったことに、
数秒前の自分の決意を放り出したくなったけれども、
梅花が私を愛でろと控えめに訴えてくるので、政宗はついに観念をした。





笑梅






「また文を書いてたのか。相変わらずの筆まめだな、殿様は」

布で大雑把にくるまれたかたまりを大事そうに胸に抱えて、孫市が縁側から顔を出した。
視線は政宗の手元、枝ぶりの見事な梅と、細く折りたたまれた薄様に注がれている。
からかいの種ができたと目を細めた孫市の腕の中で、かたまりがもぞもぞと動いた。
黒いふさふさとした毛並が布からこぼれる。

「……犬を座敷に上げるでない」
「いいじゃねえか。俺の脚と一緒にきれいになったばかりだぜ」

なあ、とあどけない子犬の顔をのぞきこみ、まだ少し水を含んだ毛をなでつける。
誰ぞ餌付けでもしたのだろう、近頃敷地内をうろついていた子犬だ。
この八の字の眉っぽい毛がたまらねえ、と孫市がよく構い倒している。
犬も当然のように懐いているのが、政宗は少し気に入らない。

「で、どこのお嬢さんに差し上げるんだい」
「やぼなことを」

草履を脱ぎ捨て、今一度自身の足を手ぬぐいで拭きながら、孫市は問うた。
その足先はじんわりと赤みをおびている。
犬ともども政宗の居室に上り込むと決めたようで、さむいさむいとぼやきながら火鉢の前に座り込み、冷えた指先をさすっている。

丸まった背中に、政宗は羽織を一枚投げつけてやった。
うわ、なんかこれ好い匂いするんだけど、と羽織に鼻を寄せ軽口をたたく孫市に、緩みそうな口をこらえながら、かろうじて、そうか、とだけ返した。
孫市は笑った。彫の深い顔がくしゃりと崩れた。
犬もぶる、と小さく身震いをし、先ほどまでくるまっていた布の上で丸くなる。
梅が咲き春を告げても、この奥州の寒さはまだ厳しい。
ひとりと一匹の乱入は、暖まった部屋に雪解けの冷えた風を吹き込んだ。

「それだけ見事な梅を贈りたくなる女神だろ? ぜひともお目にかかりたいもんだぜ」

借りた羽織を肩にかけて、まだ見ぬ女に妄想を膨らませている孫市の口元は、にやにやとしまりがない。
政宗は、さも呆れているといった表情で、折りたたんだ薄様を梅枝の端に丁寧に結びつけた。
できるだけ密やかに、けれども確かな存在を知らしめるようにしっかりと。
孫市はそれを見て、さらに笑みを深くした。返答ははなから期待していなかったのか、なおも言葉を続ける。

「そうねえ……。その梅から察するに色気のある女性だな。凛としたたたずまい、だのにほのかに香る寂しさがまたそそるね。守ってやりたい。男の性だ。誘うのにすがらない清らかさ、どこか手の届かない哀しさ…。なんてこった、まさか麗しの未亡人かなにかか?」

政宗はこらえきれず吹き出した。あながち間違ってはいまい。

「未亡人か。それはいいな」
「だろ。今はいない男のことなど忘れさせてやる、わしと共にこいって自信満々に言ってみろよ。お前に言われたら落ちるぜ」
「ほう。ならば今度試してみよう」

張りのある常の声色からは幾分穏やかに、愛おしげに梅枝を手にする政宗に、孫市の目がかすかに揺れる。

「お前、結構本気だな」

孫市は鈍い男ではない。
政宗の手にある梅枝が、庭でひときわ美しく咲いていたものであることも、結び付けられた白の薄様の密やかさにも、梅花の香りを損なわぬよう品よくたきしめられた香にも、とうに気が付いていた。
贈る政宗の柔らかな表情と真剣さにも。

「気になるか」
「そりゃあな」

お前にそんな顔させる相手だろ。こりゃ本当に未亡人か?
そう言いながら、孫市は隣で丸くなっている犬の背をくすぐった。毛はもう乾いている。
孫市の手のひらも、いつもの暖かさを取り戻していた。
犬にならって、孫市もごろりと丸くなる。羽織を体の良い布団にして政宗を見上げながら、目だけで話の続きをねだった。
ひげ面のいい年をした男のくせに、変に庇護欲を誘う、なまやかな目だ。
政宗はこの目に勝てたためしがない。

「…抗えない色気はあるな。旦那ではなかろうが、大事な存在に先に逝かれたとは聞いた」
「へえ、俺の想像力も捨てたもんじゃないね」

自分の予想が当たったことが嬉しいのか、それとも何かをごまかしてしまいたいのか、けらけらと笑う。
この笑いが曲者であると、政宗は常々感じていた。笑いは感情を隠す。
孫市の笑顔はとても好ましい。
気に入りの犬をいじり倒す時や、借りた羽織を手にみせる無造作な笑みは、誰にも言うつもりはないが、政宗が愛してやまない表情の一つだった。
だがその一方で、孫市は笑みの奥にかなしみを潜ませることがある。かなしみなどないと顔をゆがませる。
それが政宗にはひどくもどかしい。

「だからじゃろうな、失うことを恐れているようにみえる。へらへらと近寄うて来るくせに、手を伸ばせばするりと逃げよる」
「そりゃあ…」
「わしも怖い。ちかしいものはみな先に逝く」

よどみなく言い放つ政宗に、孫市は目をみはった。怖いと口にする政宗には、暗さも、弱々しさもなかった。
孫市は大きく瞬きをして、目の前の、一回りは離れた年下の男の顔を見つめている。
政宗の左目は強い光を宿していた。
脆さを見透すような光に、孫市はたまらず傍らの犬に手を伸ばした。相変わらず丸まっている。

「だがもうやめだ。ためらわぬと決めた」
政宗は背筋を伸ばし、しんと孫市を見すえる。

「わしのものにする。ただ傍にあるだけでは足りん。わしと共に生きてもらう」

孫市はことさら愉快そうに笑った。

「情熱的なこって。で、手始めにその恋文か。お前の思いは伝わるだろうが、まどろっこしいなぁ、夜に忍んで押し倒しちまえよ」
「わしはそれでもよいのじゃがな。こう言った演出もお好みらしいゆえ、せいぜい酔ってもらうこととしよう」
「すげえ自信。さすがだね」

喉の奥で声をならし、孫市は頭をかいた。だらしなく寝そべっているせいで、着物が少しはだけている。
ほそい腰だな、と政宗は思った。梅のように手折ることはできまいが、掻き抱きたいとも。
貸した羽織の藍色が、孫市の日に焼けた肌にやたらに映えて、隠された艶かしさにくらりとした。
気に食わない作り笑いも身ぐるみもすべてはがしてしまいたい。
目の前にいる男に対する情欲が、もはや抑えられないものになる気配に、政宗は二度目の観念をした。


「時に孫市」
「なんだよ」
「誰にも秘密で、この文を届けてきてはくれぬか」
「お、ついに相手を吐く気になったか」

主の忍びやかな言いつけに、孫市はやおら起き上がって、あぐらをかいた。
その膝元で犬までのそりと動き出したのに、政宗は苦笑をもらす。
よう似ておる。こちらに呼ぶと、小さな手足を動かして、とことこと政宗の近くまでやってきた。もう一度おいでと膝を叩けば、素直に政宗の膝に足をかける。
似ておる、が、犬の方が余程素直だ。

政宗は目の前の臆病な男にこそ、素直にもたれかかって欲しかった。
好いた相手一人を引っ張りあげるだけの器はあると、自負している。
そもそも、その己の器を広げ、丁寧に形を整え、ひび割れぬよう手をいれたのは、他でもない孫市であった。
ここまで入り込んでおいて、逃げることは許さぬ。
お前が一等大切なのだと、伝えてやりたかった。

政宗はまっすぐに、梅枝を孫市に差し出す。
そして内心の緊張を悟られぬよう、深く息を吸って、言った。



「誰にも秘密でこの文を」
――お前に届けてはくれまいか。


ばちり、と火鉢の中で小さく炭が爆ぜた。
孫市が息をのんだ。政宗も息を止めた。


「……政宗、お前」
止まった呼吸を補うように空気をむさぼり、孫市がやっとのことで絞り出した声を、政宗は否を許さんばかりにかき消す。

「お前に忘れられぬ男がいるかどうかは知らんが、いるなら忘れさせてやる。わしと共にこい、孫市」

あまりに力強く、真っ向からの政宗の言葉に、孫市の顔にぱっと朱がのぼる。
だいぶ年かさの、無精ひげを好き好んで蓄えた、しかも己よりたっぱも体格もいい男がするには、かわいらしすぎる顔だというのに、政宗は素直に愛おしいと感じた。
感じた自分にめまいがした。だがそれもいいと、腹はすでに据わっていた。

「そんな台詞じゃ落ちねえよ」
「お前が落ちると言うたのじゃろう。責任をとれ」
「とってたまるか」
「顔が赤いぞ」

ああ、だとか、もう、だとか、あつい、だとか、何やらうめきながら、赤くなった顔を隠すように片手で覆った孫市に、政宗はさらに詰めよる。
おちそうな獲物を逃がしてやれるほど、大人ではない。

「それとも夜に忍んでいく方がお好みだったか。それは悪いことをした。今宵の楽しみにしておけ。わしも楽しみにしておる。麗しの未亡人殿」
「ああもう、俺のばか」

己の放った言葉が、形を変えて返ってくるいたたまれなさに、孫市の背中はどんどん丸くなっていく。
それが面白くて、政宗は孫市を見下ろした。孫市は声もなく黙り込んでいる。
火鉢の炭がまたも音を立てた。部屋が暖まりすぎている。

ひたすらに待つ構えの政宗の袖を、腹をみせころころと転がる犬が、くいと口で引っ張った。
戯れに手の平をひょいと出してみれば、あつらえ向きに手を乗せてくる。

「ほれ、お前の犬は諾と言うておるぞ。孫市」
「俺の犬じゃねえっての」

顔を隠していた長い指が、所在なさげに羽織をいじっている。
ほう、そんなにわしの羽織が気に入ったかと、からかいたい気持ちを優しさで抑え込んで、政宗は孫市の名を呼んだ。


「孫市」


呼んだ政宗自身も驚くような、甘やかな声であった。
口の中に転がる音を楽しむように、いつくしむように、呼ぶ。

孫市。手にした梅枝を、政宗は再び恭しく差し出した。



「ったく、しようがねえなあ」

しばしの沈黙の後、孫市がぽつり、こぼした。
うつむいていた顔が上がると、浮かんでいたのは政宗が愛してやまないそれだった。

火縄を扱う節ばった手に似合わない、壊れ物を扱うような繊細さで、梅枝に触れる。
しかり孫市の手に文が渡れば、もともと下がっている眉尻が更に下がって、それはそれは嬉しそうに笑うものだから、政宗はもうだめだった。


「……政宗、なにしてんだ」
「抱きしめておる」
「犬を?」
「犬を」

突然抱き上げられた犬が迷惑そうに鼻をならす。
すんすん、とささやかな抗議をしながら腕から逃れようとじたばたしていた。

「なんでそこで犬なんだよ。そこはお前、普通は俺だろ。俺を抱きしめるだろ」
「うるさいわばかめ」

強くなる腕の力に、犬も本気を出すことにしたらしい。
かぷりと政宗の腕を甘噛みして相手をひるませ、その隙にぼとりと逃げだした。そのまま孫市の方に転がっていく。

「はは、ふられてやんの」

視線を上げた孫市は、瞬間我が目を疑った。
政宗が、照れている。

女にも男にも苦労しないであろう、人心をひきつけてやまない奥州の大大名が。
独眼竜と畏れられる若き東北の王が。
かわいげの欠片もないくたびれた男に恋文を渡し受け入れられた、ただそれだけのことで、頭から湯気が出そうなほど大いに照れた挙句、犬に乱暴を働き、仕舞には手を噛まれて逃げられた。
今しがたの堂に入った態度も、あれはもしかしたら惚れた女の前で精一杯恰好を付けたい男の見栄のようなものであったのか、己は女ではないけれど、そう思ってしまうと、孫市はもう、だめだった。

俺もまだまだ捨てたもんじゃないね、と先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら、わずかに落ち着きを取り戻した孫市は、仕返しとばかりに政宗の名を呼んだ。

なあ、政宗。わざとらしく余韻を残した、低く甘ったるい声だった。

「お前さっきまで堂々としてたくせに、なにいきなり動揺してんだ」
「動揺などしていないわ、馬鹿め」
「顔が赤いぜ? そんなんじゃ夜に俺の部屋まで辿りつけるのか、怪しいもんだな。初心な若い燕殿」
「お前が」
「お前が?」

こうなるともう形勢逆転で、孫市はすっかり常の年上の余裕を取り戻していた。お前が、と口ごもる政宗に続きを促す。

「お前がかわいいのが、いけない」

これには孫市も驚愕した。

「政宗、お前大丈夫か。目は見えてんのか」
「わしの左目は二つの目よりよほど見えるわ」
「いやいや、そりゃそうだが、それはない。自分で言うのもなんだが、俺のどこにそんな要素があるって言うんだよ、気色悪い」
「かわいらしいものは、かわいらしい」

再度熱くなりそうな顔を自覚して、らちが明かないとばかりに孫市は天を仰いだ。
膝元で犬がことんと首をかしげる。
この問答はさっさと切り上げるべきだ。
暑さすら感じる室の中で、いい年した男が二人、お互いがお互いを、かわいい、と思いあっているだなんて、そのうち犬も逃げ出してしまう。

「それで?」

孫市は問うた。
政宗は何を問われているのかわからず、疑問符を浮かべている。
目が、あった。
この男だからこそついてきたのだと、孫市は思った。この男と共に生きるのだと。

孫市はもう一度、梅枝をしかと握りしめる。



「そのかわいい俺のことは抱きしめてくんねえの?」



とたん、強い力でお互いを引き合って、においも温もりも混ざり合うように抱き合って、二人して、ああ、もうだめなのだと観念をした。


二人の間で、梅花が控えめに笑んでいた。














end.

















政孫告白話。
お互い踏み込むのをためらってたのに、ふとした瞬間に、もうだめだなって諦めればいい。









2012.10.11up