『くのいち、どうしてそんなにこだわるんだ?』 『なんででしょ〜? 教えてあーげないっ! にゃは♪』 てふてふ 雑談が苦手な人種というものは結構存在する。 仕事の話になると意識せずとも口は滑らかに動くのだが、普段人と接するときには全く話題が浮かばない。 それが気を許した友だったとしても。 石田三成は紛れもなくその人種だった。 基本的に話は聞き役にまわり、自分については大して話さない。 興味のない人間には話題を振られても端的な受け答えで終了させる。 対して彼の友、直江兼続は全く逆の人物だ。 自分から良く話し、相手から話を引き出すのもうまい。 その点から言えば左近も同様で、飄々としながらも話しやすい空気を作ってくる。 主秀吉もねねも然り。 そういった周囲の人々に恵まれてきたため、三成は今まで雑談について困ったことはなかった。 …もうひとりの友人ができるまでは。 小田原のその場の流れから繋がった新たな友、真田幸村。 彼は三成と似た“聞き手側”の存在だった。 余計なことは話さないし、無理に話を聞きだそうとしてくることもない。 時間ができた時兼続だったら三成の私室に押しかけてくるものだが、そんなこともない。 人質として過ごしてきた日々がそうさせたのだろう、慎重すぎるほどの相手への配慮を感じる。 気遣いが歯がゆい。 そんな感情を抱き始めたのはいつごろからだったか。 今までにないタイプの幸村に興味を持った。 だが自分は気の利いた話題を持ち出せる人間ではない。 また、用事もないから話す内容もない。 彼は不器用な性格をしていた。 だからそんな三成にとって、左近に無理やり取らさせた休憩中に幸村を見つけたのは思いがけない偶然だった。 鍛錬中だったのだろう、愛用の槍を傍らに置き縁側に腰掛けていた。 うーんだの何だの唸りながら手元に意識を集中させていて、こちらには気づいていないようだ。 何をしているのか後姿だけでは判断が付かない。 「…妙な声を出してどうした」 いつもの不機嫌そうな声が出たときは三成自身も驚いていた。 おそらく役に立たないであろう事柄に、何故自分から関わろうと思ったのか。 ぴく、と肩が微かに揺れて幸村が振り返る。 意志の強い瞳は今は驚きに見開かれていた。 「三成殿。 あ、いえ…大したことでは」 「部屋の近くで変な声を出されては仕事に集中できん、早く言え」 「す、すみません」 相変わらずの低姿勢。 そんな幸村への愛想のない返答に、三成は自分に嫌気が差した。 しかし幸村自身は特に気にした様子もなく、素直に話し始めた。 「あの、鉢巻の結び方について悩んでいたのです」 「…鉢巻?」 突然言われた鉢巻という予想だにしない単語に三成は怪訝な顔をし、幸村の手元を覗き込む。 なるほど、確かにその鍛錬に明け暮れた若武者らしい手には赤いそれが握られている。 そしてそれが形作っているはずの蝶々結びは。 「……出来てないな」 「…すみません」 幸村は自分で苦笑しながら返答する。 実際手元には固結びのような、それにしてはぐちゃぐちゃになっている鉢巻が所在なさげに置かれていた。 目で確認しながらこれでは、頭の後ろで結ぶ際にはもっと結べていないのだろう。 「今まではどうしていたんだ」 三成が多少呆れながら言うと、幸村は失敗した鉢巻をほどきながらぽつりぽつりと話し出した。 「武田にいた頃は鉢巻をしてはいなかったもので。 これは豊臣に来てから父に貰いました」 武田。 それは彼の、あまり話したがらない過去。 話すときに遠い目をするような。 「お恥ずかしい話ですが、昔からこういう手作業は苦手でして、あまりうまく出来ません」 ほら、ともう一度挑戦した手を開いてみせると蝶々結びは完全に縦に出来ていた。 本当に出来ないんだな、と三成が呟くと幸村は困ったように笑った。 「色々結ぶ機会はあるだろうに。 鎧にだって使っているのではないか」 「兜の緒については忍びが何故だか結びたがって。 ずっと任せておりました」 「…忍び?」 「はい。 武田の頃はいたのですが最近では姿を見せず…あの者のことだから大丈夫だと思うのですが」 それ以上は言わず鉢巻を見つめる幸村に何故か心がざわつく。 忍びと蝶々結び。 三成は一つ思い当たりそうなことがあることに気づいた。 何か、以前にもこんなことが。 「三成殿は“決して解けない蝶々結び”の結び方はご存知ですか?」 『三成っ!“決して解けない蝶々結び”って知ってる?』 あ、と三成は声を上げそうになった。 その記憶は小田原よりずっと前。 主が天下人になる前の。 秀吉とねねと自分とが、ただただ戦から生きて帰ってくるだけで幸福だったあの頃。 確かねねはそっと自分に教えてくれた。 幸村は気づいた様子もなく、昔を懐かしむように話を続けた。 「普段は傍にいないときも多いのですが、出陣の折には必ずやってきて結ぶのです。 一度理由を聞いたんですが教えてはくれませんでした」 『これはね、おまじないなの』 「あの者の結んだ蝶々結びは戦のときも決して解けなかった」 『結んだ人たちの命が解けませんようにって』 「何か意味があるのでは、と思ったんですが…」 『あたしも、うちの人も、三成も、みんなみんな帰って来れますようにって』 今より少し若かった張りのある声のねねが幸村の質問ひとつひとつに答えていく。 ふ、と三成は俯きながら口元に笑みを浮かべた。 幸村は顔を上げて三成を正面から見つめてもう一度尋ねた。 「三成殿はご存知ですか?」 『教えてあげるね、三成』 三成は拳に力をこめた。 『あたしが三成の陣羽織、結んであげる。 だからあたしの結んでね!』 あの人の溌剌とした笑顔を、今ならはっきりと思い出せる。 三成は顔を上げた。 「…知らんな」 幸村がこちらを見つめている。 それがまたお預け中の犬のようで何だかおかしく思った。 「大体忍びしか知らんような結び方を俺が知っていると思うのか?」 「…そうですよね。 三成殿、変なことをお聞きして申し訳ありませんでした」 そう笑って、幸村はまた手元の蝶々結びを解きにかかる。 その後姿を見て三成は何も言わずに鉢巻を取り上げた。 「…三成殿?」 「お前はこのままずっとこれと格闘するつもりか。 俺がやってやる」 「あ、ありがとうございます」 律儀にお礼を述べて、幸村はおとなしく後ろを向いている。 腰掛けているせいで自分より低い位置にある額に鉢巻をあてがうと三成は器用に結んでみせた。 (…お前の命、繋いでおいてやる) ねねが自分にしたように。 幸村の忍びが声のない願いをそっとかけたように。 ふと湧き出た感情を三成はまだ何と呼ぶか知らない。 三成は無意識に力をこめた。 何度も感謝の意を口にする幸村を早く行け、と追い払って三成は自室へ歩き出した。 いつもは不機嫌そうな口元が少し柔らかい。 数刻後、彼は鍛錬が終わって解けなかった後ろの飾りに気づくだろう。 そして自分にあの困ったような笑顔で話しかけてくるのだ。 ご存知だったのなら教えてくださればいいのに、と。 ほんの少しだが、話題が出来た。 不器用な彼の精一杯。 三成は大きく伸びをしながら、数刻後を楽しみに平素より足取り軽く仕事に戻った。 end. こんなこと書いてるけど実際は幸村のほうが殿に依存してると思うんです…よ。 2008.01.29up |