きみのて。








「おや?殿、休み前にしてはお早いお帰りですね。この後ご予定でも?」


島左近がふと顔を上げると、既に立ち上がり鞄の整理をしている上司・石田三成の姿を見つけた。
普段誰よりも遅くまで残り仕事を片付けている三成が、自分に急かされた訳でもないのに帰宅の準備をしているのがあまりに珍しく、左近は声を掛けずにはいられなかった。
ましてや三成は飲み会等もほとんど顔を出さないタイプである。
ワーカホリックの代名詞のような彼が仕事を切り上げてまで帰ろうとする理由が気になったのだ。


「別に…大したことではない」


と、唯一彼が帰りに連絡を取りうる同期の直江兼続が、書類の山とパソコンの間から、そのよく通る声で叫んだ。


「左近、許してやってくれ!2ヶ月に一度の逢瀬、というやつだ」
「2ヶ月に一度…。あぁなるほど、今日は殿が愛し子のところに行かれる訳ですな」


爽やかにプライベートを暴露してくる兼続と、にやにや笑いながら声を掛けてくる左近。
いつもならここで痛烈に反撃してくる上司なはずなのだが。


「フン、勝手に言っていろ」


じゃあな、と何の皮肉もなく三成は会社を後にする。
そんな三成の様子を面白そうに見ながら左近が言った。


「久しぶりに休みを取られると思ったらそういうわけですか」
「良いではないか。恋人たちを邪魔するような無粋な真似はしないさ」


からから笑いながら兼続は資料室に向かう。
ま、確かに殿の機嫌が良いに越したことはないしね、という左近の苦笑もまた会社の喧騒に紛れていった。






大通りから一本入ると閑静な住宅街になるのはどんな都会でも同じだ。
もっとも今三成が目指す場所は、元々いわゆる都会から数駅離れた場所にあるのだが。
駅前から10分程歩くと、木造の扉とガラス貼りの店舗、そして小さな看板が見えてくる。
「ふうりんかざん」という古風な名称と裏腹のポップな字体が店舗と相俟って、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
オレンジ色の照明が零れるドアを押し、三成は店内に足を踏み入れる。
入口に掛かっていたベルがカランと音を立てた。


「いらっしゃいませ」


落ち着いた声音で迎えたのは漆黒の髪と鳶色の瞳。
柔らかい微笑を浮かべる青年に、三成は俯きがちに声をかけた。


「…少し遅くなった」
「いいえ、そんなことは。いつもありがとうございます」


短い会話の後、三成はコートとマフラーを渡す。
席に案内されると鏡越しに彼が微笑んだ。


「いつも通りでよろしいですか?」
「あぁ」
「わかりました。…失礼します」


一言声を掛けると、三成の髪に手が差し入れられる。
毎日水仕事に明け暮れている、少し荒れた手だ。


「最近、少しお疲れですか?」
「…まぁそうだな、わかるのか」
「えぇ、髪がいつもと違うので。それでよろしければ今回、トリートメントをご紹介させていただきたいのです。別料金がかかってしまうのですが…」
「任せる。お前の見立てに間違いはない」
「…ありがとうございます」


三成の髪を確認するように整えると、それではどうぞ、とシャンプー台に通された。

石田三成と彼、真田幸村は恋仲である。
元々三成は自らの外見を取り繕うことになど興味はなかった。
だが、たまたま兼続に知り合いとして紹介された美容師である幸村を気に入り、珍しく声を掛けたのが始まりだ。
いわゆる一目惚れ、である。
実際には大手企業のエリート社員である三成の仕事は忙しく、それほど頻繁に会うことは叶ってはいないが、それでも順調に絆を深めあってきている。

一方で、幸村の仕事場であるこの美容院での二人の関係は、初めて会って以来変わっていない。
あくまでも自分は客で、幸村は一美容師として振舞う。
それは今のように他の客がいないときでも同じだった。
どうにも真面目な彼らしい。
だが、傍から見れば少し他人行儀に映るこの態度も、三成は好ましく思っていた。
愛想がよく老若男女問わず好かれる幸村の、普段の接客が垣間見れるようで悪くない。
惚れた弱みというやつなのだろう。

物思いにふけっている間にシャンプーが終わっていた。
ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。
座席に通されると、幸村が微笑んだ。


「トリートメントを髪全体に行き渡らせるために、マッサージをさせて頂きます」
「マッサージ?」
「はい、失礼いたします」


そう言うと、幸村が髪ではなく肩に手を掛けた。
一瞬三成の体が強張る。


「楽にしていてくださいね」


そう言うと幸村は肩をほぐすように揉み始める。
優しく触れられて、何となく照れてしまう。
来店してみるまで予想していなかった動きに、緊張が解れなかった。


「痛くないですか?」


幸村の声にあぁ、と返すと、続けられる。
もう心得ているのか、強さも流れるような動きも丁度よくて心地良い。
確かに心地よいのだが、三成はというと何だかむず痒い感覚を覚えていた。

多くの客を満足させている少し荒れた美容師の手。
それは熱情に浮かされているとき、切ない声と共に自分に縋ってくる手。
自分が愛してやまないあの手が、撫でるように肩から二の腕まで進んでいく。
わかっている、これはあくまでも幸村にとっては仕事の一環だ。
だが自分との間柄を考えれば、少しくらい意識しても仕方ないことだろう。
…普段だとあんなに照れるくせに。
休日もこれくらい積極的でも構わないが、なんて下らないことを考えた。
そんな三成の気持ちには全く気付かずに、幸村は仕事を終えたようだ。


「はい、マッサージは終わりです。少し時間を置いてからカットいたします」


幸村が微笑むと席から離れていく。
鏡越しに書類と向き合っているのが見える。
おそらく明日の予定でもまとめているのだろう。
先程までの自分の行動を特に意識した様子もない。
いくら仕事だからといって、こうやって恋人の体にさらりと触れてくるというのは、大胆というか何も考えていないというか。
あまりにも幸村らしい。
三成は雑誌を眺めながらくすりと笑った。






さっぱりした髪をかき上げ、コートと鞄を受け取り会計を済ませると、幸村に声を掛けた。


「先のトリートメント、悪くなかった」
「ありがとうございます。あれは最近始めたサービスで…」
「誘っているのかと思ったぞ」
「―っ!?」


説明を始めようとする幸村の言葉を遮り、『客』と『美容師』の距離感を超えて耳元で囁く。
幸村が目に見えて顔を赤く染めたのがわかった。


「普段よりずっと積極的だな、幸村」
「ち…違っ…!!」
「冗談だ」


先程までの一介の美容師としての姿から、一気に幼くなってあわあわしだす幸村の頭をひとつ撫でてやると、三成は言った。


「駅前の珈琲店『チェスト』、片付けが終わったら来い。…夕飯、食べて帰ろう」
「…はい」


幸村が赤らめた顔のまま微笑んだ。
接客用の笑顔でないことに満足して背を向ける。
扉を開け三成を送り出した幸村の「ありがとうございました」という声が後ろで聞こえた。
どこまでも律儀な奴、と口元を緩めてマフラーに顔を埋めた。

明日は久しぶりの二人の休み。
夜はまだ始まったばかり。












(おまけ)


「幸村様、お仕事終わりましたぁ〜?」


にゃはん、と呑気な声がして幸村は振り返る。
スタッフルームへと繋がる扉の奥から小柄な少女が顔を出しているのが見えた。


「くのいち」
「幸村様ってば、あの狐さんが来るとサービスしすぎ。普段ここまで時間かけないじゃないですか」
「う…うるさい、今日はもう最後だったからたまたま…」
「わかりましたよう、そーゆーことにしときます」


面白そうに笑うと、くのいちが箒を持ってくるりと回る。


「ほら早く片付け終わらせちゃいましょ?幸村様、狐さん待たせてるんでしょ?あたしも今日は熊姫とご飯食べに行くつもりなんで」
「それはすまなかった。あとは私がやっておくからそなたは先に…」
「もうっ、いーんです!熊姫も仕事終わりで来るからあたしもまだ時間に余裕あるんですってば!」


くのいちが床を掃き始めながら、もう一本の箒を幸村に渡した。


「だから二人で早く終わらせて駅までダッシュしましょうよ、幸村様」
「…そうだな。お待たせしないように急ごう」
「がってんだ!」















end.

















くのいちにとっては駅までの道もきっと楽しい。
珈琲店『チェスト』の店長はもちろんあのお方。
昼は猫カフェ、夜は奥でばくちもできるお店です(笑)









2012.11.18up