表裏比興といふものにや








天下に最も近い人間にふさわしい広大な庭を進んだ先にある鍛練場。
その付近に普段見慣れない姿を見かけ、私は首を傾げる。
だが鍛練場の脇に書物を収めた倉があることを思い出し、直ぐに合点がいった。
まさに文吏官らしい。

石田治部少輔三成殿。
豊臣秀吉の懐刀、武勇より内政に長けると聞く。
それを揶揄する人間もいるが、我が父昌幸もまた、亡きお館様の治世に倣い内政に力を入れているため、私は悪いことだとは思わない。
だが一方で、今から鍛練場に向かう身としては関わりのない御仁だとも思った。
相手からしてもそうだったようで、私が頭を下げると一瞬の逡巡の後言った。


「…確か、真田の」
「真田昌幸が次男、幸村にございます」


では御免、と通り過ぎようとすると、待て、と呼び止められた。
おそらく始まるであろう問答に少し身構える。


「単刀直入に問う。真田はいつまで我らに味方する」
「そのようなこと。我ら真田家が現在あるは上様の庇護あってのもの。この身を賭して忠誠を誓っておりますればこそ、私はここにあるのです」
「良い。そのように心の籠らない賛辞は聞くだけ時間の無駄だ」


その切れ長の瞳は目を逸らすことを許さない。
天下人の謀略を間近で見てきた御仁だ、小国の思惑などわかりきった上で反応を見たがっているに相違ない。
ここは嘘偽りなく話すが得策か。
私は唇を湿らせ言葉を紡いだ。


「では正直に申し上げまする。我らが豊臣にお味方するは、我が領地を狙う徳川への牽制のため。もし豊臣が真田の窮地を見捨てることあらば、我ら全力を以て猿狩りをすることも厭いませぬ」
「ふ、言ってくれる」


石田殿が口元を緩めた。
見くびってもらっては困るが、私とて人質となっている身だ。
自分の言動が家の繁栄にも滅亡にも繋がっていることは重々承知している。
他の将に対してこのような無礼な発言はしたことなどない、相手が石田殿だからだ。
だが、私がこの方に対してのみ嘘を交えず話すのは、決して信頼関係から来ているものではない。
私が以前いた上杉家で世話になった直江殿から、石田殿の性格を聞いていたからだ。
この御仁に嘘を言えば途端に警戒され、逆に素直に話せばその口固く、必ず味方になってくれるのだと。

果たして彼はこの無礼なる回答を気に入ったようで、頷きながら言った。


「確かに真田は不安要素だ。昌幸殿は表裏比興と謳われる謀将。状況が変わればすぐに敵となりうる」


おなごのようなその顔に似合わず、怜悧な言葉を投げてくる。
我ら真田が陰で日和見と噂されているのは知っている。
私はふと笑うと石田殿に言った。


「我らを味方にしたくば真田が領地の守護をなされば良いのです。それ故我らを御するはたやすい、違いますか」
「それはそうだ。尤も、他により強力な後ろ盾が出来ればまた状況は違って来ようが」


私の遠慮ない言葉に気を害した様子もなく、石田殿もまた辛辣に返してくる。
だがこのような若造を問い詰めても現時点では意味がないことに気付いたようだ。
少しだけ口元に笑みを浮かべると、私に言う。


「…いや、無用に敵を作るは良策ではないか。味方は少しでも多い方が良い」
「貴殿こそ、その性格を直せば敵が減るのでは?世辞の一つや二つ、政略上不可避でしょう」


私のような人質にはともかく、他の豊臣の将らにも同様の物言いで話しているのを聞いたことがある。
この人は素直に過ぎるのだ。
客観的に見れば間違いではないその指摘も、的確であればこそ、相手の自尊心を傷つける。
石田殿を悪く言う者も少なくないことを私は知っていた。
だが私の言葉にも、石田殿は薄く笑うだけだった。


「お前にそのようなことを言われるとはな」


おそらくこの人は、誰から進言を受けたとしても、自分の考えを曲げることはない。
婉曲的な言葉を極力排除し、思ったことをただ真っ直ぐに述べる。
美辞麗句を並べ、権力者の機嫌取りにやっきになる輩とは全く別世界の存在なのだ。
そう思った矢先、石田殿がふと声を漏らした。


「世辞の一つや二つ…か」


そう呟いたかと思うと、石田殿が正面から私を見据えた。


「真田は不安要素だが、お前は信頼に足る」


幼い頃より他国にて過ごした期間が長い分、返答には自信を持っていたはずだった。
だがその真剣な眼差しに、不覚にも息を詰めてしまう。
一瞬の間の後、ふ、と石田殿が薄く笑うのがわかった。


「…とでも言えば満足か?」


不敵に笑うと、颯爽と政務室へと戻っていく。
赤茶の髪が揺れる。
私に出来たのは、ただその後ろ姿を見つめることだけだった。


石田殿は何があっても自分を曲げない。
私のような若造が言った事など、歯牙にも掛けないだろう。
相手を立てることはない、ただ素直に思ったことを述べるだけだ。

とするならば、今の言葉は。

…調子が狂う。


「…石田治部、侮りがたし…」


私は俯きながら左手でくしゃりと前髪を掴んだ。
不意に零れた言葉は、人影のない屋敷で思いの外大きく響いた。















end.

















2三成×無印幸村っていうツンデレ×ツンデレもありかなと思う。









2012.11.01up