関ヶ原の決戦は西軍勝利に終わった。
一時は猛将本田忠勝の奮戦や小早川の裏切りにより危機にさらされたが、土壇場での援軍の到着により なんとか勝利をものにすることができた。
今は戦後処理も終わり、本格的に天下の安定へと進み始めている。
全国には兼続のいる上杉はもちろんのこと、長宗我部、立花、島津など東軍の諸将に睨みをきかせる者たちがいる。
あの人が願った、皆が笑って暮らせる世になるだろう。


「殿。失礼いたしますよ」


聞き飽きるほど聞いた声と共に一人の男が部屋に入ってくる。


「調子はどうです?」


そう言いながら淹れたての茶を差し出すのは、三成の右腕である島左近であった。
この時間になると決まって追加の仕事を運んでくるのだ。


「問題ない。次は何だ」


対して三成はというと声の主のほうを見ることもせず筆を走らせながら問う。
左近もそんな主の態度を気に留めることもなく書類を見ながらてきぱきと答えた。


「城主に対する今後の措置に関する会議、城下町の視察、それと…」


いくら安定し始めたとはいっても、今や天下人となった三成にはやることがいくらでも残っている。
次々と挙げられる報告に表情も変えずに三成は淡々と目の前の業務をこなしていた。

そして山積みの仕事片付けようとを新たな書類に手を伸ばそうとしたとき。


「…というのが目下の仕事なんですが。ひとつ、急ぎの問題がありましてな」
「なんだ」
「また、真田幸村がいなくなりました」
「……」


今日初めて、三成の手が止まった。





こんな晴れた秋の日には






「というわけで今日は臨時の休暇です。早く幸村を迎えに行ってやってくださいね」


左近はそう言うと三成を執務室から追い出した。
にやにやと笑いながら「どうやら今日は森に行ってるみたいですけど」と付け足す左近を忌々しげに睨みながら 三成は羽織を着て立ち上がる。
その頬が少し赤くなっているのは気のせいではないようだ。


幸村が姿を消すようになったのはこれが初めてではない。
初めていなくなったのは戦後処理を終えて兼続ら西軍諸将が自国に戻ってから1月ほど経ったころからだった。

最初にその報告を聞いたときの三成取り乱しようはそれは筆舌に尽くしがたいもので、必死の形相で駆け出し探し回った結果、城下町の雑貨屋にて発見された。
後々聞いた話では、戦後処理という激務の中で筆を使い潰した三成に渡したかったのだという。
三成の心配をよそになんとものんびりした話だ。

次のときは香りのよい花を抱えながら泥だらけで戻ってきて、三成にひどく怒られていた。
当然のようにそれは三成の寝室に生けられ、しばらくの間普段簡素な部屋に彩りをもたらしていた。


いなくなるどの理由にも三成が関わっていて、単にわがままで出て行っているのわけではないというのが幸村らしい。


一方そうやって時折いなくなる幸村を過保護なほどに心配するのが三成だ。

姿が見えないのは西軍に勝利をもたらした英雄とまで称されるようになった男。
武器がなくとも彼はそこらのごろつきに負けるはずもなく、さらに言えば常に傍には忍びが控えている。
そんな人間を心配する理由はどこにも見当たらないことは聡明な主なら容易に考え付くはずである。


しかしまあ本当に不器用な方たちだ、と左近は苦笑する。
あの仕事一筋で堅物の代名詞とも呼ばれる石田三成を仕事を放り出してまで走らせる力があるんだから、 幸村が一緒にいたいと一言言えば三成も自ら進んで休みを取るだろうに。
それが出来ないのが幸村で、彼のいいところなのだろう。
結果として三成のいい気晴らしになっているので、ある意味うまくいっているのかもしれない。

それに。
三成にそんな余裕ができるほど、天下が安定してきたということでもあるのだろう。


(秀吉様、あんたの望んだ世界、すぐそこまで来てるみたいですよ)


左近は一度天を仰ぐと、大きく伸びをして主の代わりに筆を走らせた。







馬小屋の世話番の目撃証言もあり、意外とすんなり幸村は見つかった。
とはいえ幸村のほうも無用の心配をかけることをおそれてか口止めをしており、多少聞き出すのに手間取ったが 彼らも時折いなくなる主人を心配しているのか、おそるおそる口を割ってくれた。
後で彼らにも多少褒美をやっておかねばならない。

そんな問答があったことを知る由もなく、幸村は森の入り口付近の山道で木に手を伸ばしていた。


「ここにいたのか、幸村」
「み…三成殿っ!」


まさか見つかるとは思っていなかったのだろう、採りかけた橙色の実が手から離れ、ころりと色づいた葉の上に落ちた。


「そんな、このようなところにお一人で…!貴方は今や亡き秀吉様の後を継がれた天下人っ!万一のことがあっては…!!」
「俺とて忍びを持っている。それに馬鹿どもにやるほど安い首など持ち合わせてなどいない」
「そ…そういうことではなく…!」


驚きに見開かれている鳶色の瞳を間近に捉えると、三成は焦る幸村に取り合わずその距離を縮めた。

いたずらが見つかった子供のようにおろおろしだす幸村に、ともすれば漏れてしまいそうな笑みを三成は必死に噛み殺した。
かわいい反応をする幸村に少し悪戯してやりたくなったのだ。
どうにも幸村に甘い自分が怒るわけなどないのに、目の前の彼はそれをいつまでも覚えようとしない。


「それで、お前は今日は何をしていた」
「えっと…」


そしておそらく今日とて。


「あの、銀杏が美味しい時期になりましたので…三成殿に持って行って差し上げられたら、と…」


こんな風に困った理由でいなくなるのだ。


何も言葉を返さない三成を見て呆れられたのだと勘違いしたのか、幸村は焦りながら言葉を紡ぐ。


「三成殿の仕事の邪魔をするつもりはなかったのです…。城下の茶屋の主人と親しくなって、銀杏と餅の秋の甘味があると聞いて…それで、」


籠いっぱいに摘まれた季節の彩りを眺めて三成はそっと笑った。

幸村が昔はかなりのやんちゃで、少年時代を野駆けばかりして過ごしていたという話は兼続から聞いていた。
体を動かすことが好きな幸村のことだ、この秋晴れにいてもたってもいられなくなったのだろう。
三成としてはそんなもの茶屋の主人に取りにいかせればよいとも思うのだが、 そこを自分の手でと思ってしまうのが彼なのだ。

それになにより。
そこまでして自分のために動いてくれる幸村に愛おしさが募った。


「……申し訳ありませんでした」


深々と頭を下げてくる幸村に表情を緩めると、軽く頭を小突いた。


「仕事を切り上げたのは俺の意志だ。お前が気に病む必要はない」


もう十分採れただろう、甘味でもなんでも付き合ってやると三成は幸村を促した。
少しはにかみながら幸村は三成を追いかける。


紅葉の始まった並木道を城下町へ向けて馬を並べて歩く。


幸村がちらちらと様子を窺っている気配がわかった。

舞い落ちる紅や山吹色の葉をふと見上げながら思う。
思えばこうして遠乗りに出掛けたのはいつ以来だったか。
確かその時も、こうして隣に溌剌とした笑顔があった。


彼のおかげで、自分の中の世界が広がっていく。


「幸村」


唐突に声をかけると、幸村が「はっ…はい!」と背筋を伸ばす。


「勝手にいなくなるのはやめろ」


何も手につかなくなる、と少し頬を赤らめながら呟くと、幸村も一気に顔を紅潮させた。
二人の間に沈黙が流れる。

しばらくして、三成が右手を差し出した。
驚いてその指先に目をとめた幸村は、視線を逸らしたままの三成を見ると、照れたように左手を伸ばす。

そっと指が触れ合う。


あまりにも控えめな二人の様子に呆れたのか、少し傾いた幸村の手の籠から銀杏がひとつ転がった。














end.

















今回はちょっと殿にガンバってもらいました。まぁガンバってこれかよ!って結果ですけど(笑)
幸村が昔やんちゃでいたずらっ子だったりしたら果てしなく萌えます…!







2010.11.07up