ただそれだけで






りんりんと虫の声が聞こえる。
うだるような昼間の暑さは鳴りを潜め、夏の盛りを賑わせていた蝉の声も次第に少なくなっていく。
月明かりに照らされた木々の合間を吹き抜ける風が、多少の涼しさを呼び込んでいた。
配下ブショーたちの足音も聞こえなくなってきた夜更けだが、カンベエの執務室の明かりはまだ消える気配を見せない。
カエンのブショーリーダー・ヒデヨシの側近であるカンベエには、こなすべき雑務が多く残っている。
ランセの混乱を起こしかねない火種には、早めに対処する必要がある。
カンベエは様々な想定を念頭に入れながら、書類に目を通していた。
パートナーのランプラーが、カンベエの手元を照らしながらゆらゆらと体を揺らしていた、そんな時。

「ねぇカンベエ殿。パートナーがいなくなったら、ポケモンってどうするのかな」

ふと、この部屋にいたもうひとつの影が動き、声を発した。
ヒデヨシのもう一人の側近、ハンベエだった。
ハンベエが自室ではないこの場所で寝転がっているのはいつものことだ。
彼は昼夜問わずカンベエの執務室に上がりこみ、質素ながらも丁寧に手入れが行き届いた庭を横たわりながら眺めている。
ヒデヨシのモウカザルやカンベエのランプラーと遊ぶ、自身のパートナー・ピカチュウを微笑ましそうに眺める表情は穏やかだ。
だからといってハンベエが日頃何もしていないのかというと、そうではない。
一日に幾度となく走り寄る配下のブショーたちに、寝転がった姿勢のまま一言二言告げてやる。
耳打ちされたブショーたちは真剣な顔で頷くと、一礼をして慌ただしく去っていく。
その背中を眺めながら、あくびをひとつするとハンベエは再びごろりと転がって目を閉じる。
彼が日常行っているのはこれだけだ。
単に昼寝をしているだけのようであるが、彼にとってこのポーズは思案をするに最適の姿勢なのだ。
そしてこれは経験上知っていることだが、ハンベエは無駄なことは言わない。
どんなに気のない会話の最中であったとしても、彼の聡明な頭は常に先を読み、論理を組み立てている。
だからこそ、カンベエはもとより厳しい表情を一層険しくして、先程の言葉の真意を問うた。

「何だ、その唐突な思い付きは」

だがハンベエはそんなカンベエの反応には慣れたもので、ピカチュウを撫でながら少し顔を上げる。

「ほら、ブショーはどんな状況をも想定してなきゃいけないじゃん?カンベエ殿も真面目に考えてよ」

ハンベエは肘をつき少し体を起こすと、ピカチュウの顔を覗き込む。
イクサとなると頼もしい働きを見せてくれる相棒の電気ねずみは、いまは完全に夢の中だ。
その様子に表情を緩めると、ハンベエは話を続けた。

「人間だってポケモンだって、時間は永遠じゃない。俺とピカチュウも、カンベエ殿とランプラーも、いつかは必ず別れるときが来る。だから、もし俺がいなくなったらピカチュウはどうするのかなーって」

ハンベエが傍らのピカチュウの頬の電気袋をそっとつついた。
遊んでいるようでいて、その手つきはパートナーを起こさないよう気を遣っているようで優しい。
ピカチュウがぴくぴくと耳を動かしかけたのを見ると、ごめんと呟いたハンベエは、再びその頭を撫でてやった。 そして和らげていた瞳を上げると、ふとカンベエの手元を薄く照らしていたランプラーに明るい声音で話し掛けた。

「あ、でもランプラーみたいなゴーストポケモンなら、また会えそうな気がするよね!俺、今のうちにお願いしとこっかな〜。ねぇランプラー、俺にもしものことがあったら会いに来てね!」

声を掛けられたランプラーが振り向き、ハンベエの傍にふわふわと寄ってくる。
ハンベエはくすりと笑いながら右手を差し出し、ランプラーの燭台のような手を握った。

「そういえばモトナリ公に聞いたんだけど、ランプラーって寿命が近い人間の魂を吸い取るんだよね?もしそうなったら俺、カンベエ殿のランプラーに吸い取ってもらいたいなぁ。そしたらみんなと一緒にいられて楽しそうだし。ねぇねぇ、どうかなランプラー?」

屈託ない笑顔で問われ、ランプラーが困ったような顔をして揺れる。
心なしか薄紫色の炎が揺らめいているのがわかった。
ハンベエは楽しそうに笑うと、ランプラーの頭を撫でてやった。

「ごめんごめん、冗談だって。ふふ、ランプラーは優しいね。ご主人様とおんなじだ」
「くだらぬ」

カンベエはそんなハンベエの言葉を遮るように言った。

「ピカチュウが果てれば卿はパートナーのいないブショーになる。卿が先に果てればピカチュウは野生に戻る。それだけのことであろう」

カンベエは書簡に筆を走らせたまま顔を上げずに呟く。
だが、その声は思いの外、人気のない執務室に大きく響いた。
てっきり「カンベエ殿、つめたーい」などとすぐにおちゃらけて返してくると思われたハンベエだったのだが、予想に反して返ってきた声は静かなもので。

「…そっか」

ただ一言、そう呟くだけだった。
不自然に生まれた沈黙。
カンベエはわずかに視線を上げる。
目線の先のハンベエは、先程までと変わらず、ピカチュウをゆっくり撫で続けている。
一見すると普段と変わらない、童顔の天才軍師。
だがその表情はあまりにも穏やかにすぎて、そしてその顔に一種の居心地の悪さを感じて、カンベエはおもむろに口を開いた。

「…当然、それまでの生活と全く同じとはいかぬだろうがな」

パートナーポケモンがいなくなったブショーは、ブショーリーダーを守ることもイクサ働きも出来なくなる。
また長期間ブショーと共に生きてきたポケモンが野生に戻ることはそう簡単にはいかないだろう。
カンベエにとってそれは単に事実として確かな事にすぎない。
しかし、その声に反応してハンベエがふと顔を上げたのがわかった。
あっけにとられたような、いつもよりを幼さを湛えた表情と目が合う。
だがそれは一瞬のことで、ハンベエは再びパートナーに視線を落とし、口元を緩めた。

「…うん、じゃあいいや」

ハンベエはピカチュウを撫でながらくすりと笑う。
いつもの調子を取り戻した、子供っぽさを強調するような明るい声だった。

「やっぱりカンベエ殿は優しいね」
「何を馬鹿なことを。卿のために言った訳ではない、客観的な事実だ」
「ううん、ほんっと優しい!さぁっすがカンベエどの!」

大げさにハンベエが感動を表すので、カンベエは呆れたように溜息をつく。
そんな大きな声でのやりとりに気付いたのか、むにゃむにゃと口を動かしながらピカチュウがハンベエに擦り寄る。
ふふ、ピカチュウ、良い夢みてるのかな。
瞳を和らげたハンベエは、ピカチュウを優しく抱き上げながらそう呟くと、ごろりと寝転がって向きを変える。
室内側に背を向けて庭を眺める形になり、カンベエの方から表情は伺えなくなった。
ハンベエはそれ以上何も言うつもりはないようだった。
ピカチュウを抱き込むように丸まった体は、子供のような体型と合わさって、一層小さく見える。
しばらくして、その背中が規則的に上下し始めた。
カンベエはその様子を目の端に留めると、再び机に向き直り、筆を走らせる。
緩やかに風が執務室に吹き込む。
パートナーの手元に戻ったランプラーの炎だけが微かに揺らめいていた。








(ほんの少しだけでも覚えててもらえれば、ただそれだけで)










end.


















無双の両兵衛を知ってると、カンベエがゴーストタイプを持っているのってちょっぴり切ない。








2013.07.08up