そのお茶が冷める前に 相変わらず散らかった部屋だ、とギンチヨは思った。 いや、本人にしてみれば精一杯片付けたつもりなのだろう。 来客用にスペースが空いている…一応は。 だが如何せん物が多すぎる。 何が多いなんて聞くだけ野暮だ。 部屋を埋めつくしている古文書の山に囲まれて嬉々としている本の虫には。 これではルクシオは到底室内には入れまい。 不快な表情をしたギンチヨを意に介さず、傍らの男は書物の間から声を掛ける。 肩に乗っていたムクバードがぱさりと羽ばたきながら部屋に降り立った。 風のように飄々とした男にしては珍しく、この部屋の主に対しては敬愛の念を持って接しているのだ。 「お久しぶりです、モトナリ公」 男の声にひょこっと顔を出したのはジャノビーだった。 ムクバードと顔を近付け挨拶を交わすと、ジャノビーは未だ返事をしない主人の服の袖をくいくいと引っぱった。 「ちょっと待ってくれないかいジャノビー、今とても興味深いところで…」 「客人より書物を優先させるとは相変わらずだな、モトナリ。これらが諸悪の根源だというのならいっそのこと私が片付けてやるが?」 ギンチヨの声に振り返った部屋の主は驚いた表情をしていた。 先程の男の声には全く気付いていなかったらしい。 「ギンチヨにムネシゲじゃないか、随分久しぶりだね」 「さっき俺も言ったんですがね」 「そうだったかな?全然気付かなかったよ」 呆れた集中力だな、とムネシゲが苦笑する。 「今日はまた突然だね。シデンのブショーリーダーとその側近、二人揃って出てきて大丈夫なのかい?」 「他国の心配をしている場合かモトナリ。緊張感のないアオバのブショーリーダーにハッパをかけるのに、二人で来たのは正解だったな」 「あぁ、そのことか」 ギンチヨの言葉にもぼんやりとした反応。 思わず歯噛みするギンチヨだったが、そこはムネシゲが制して改めて問いかけた。 「モトナリ公、ハジメの国の新しいブショーリーダーがカエンの城を手にいれたとのこと。俺が言うまでもないかと思いますが、次にこのアオバに来るのは必定。早急に対策を練るべきかと」 「そうだね。確かにヒデヨシが城を取られたのは意外だったかな。彼は人をたらしこむという点では天才だけれど、その物量にものを言わせたやり方に反感を持つ者もいるだろうからね。ハジメに攻め入ったのが仇となって反乱を受けたと考えるのが妥当かな。でもハジメのブショーリーダーはまだ経験が浅いし、民の心を集めてのイクサだとは考えにくい。しかも噂によるとヒデヨシはハンベエ・カンベエをイクサに連れていかなかったらしいじゃないか。本気を出す気は全くなかったと考えるのが普通だ。となるとノブナガへの反乱ととるべきか、あるいは…」 「モトナリ公、」 「えぇい冗長に過ぎるぞ!」 のんびりしていたモトナリが急に生き生きと話し始めたかと思いきや、結局は歴史的考察に繋がりかけていることに気付いたギンチヨが、その言葉を途中でぶったぎった。 続いてムネシゲが話す。 「まだ若いブショーリーダーを勢いづかせるのは少々危険です。ノブナガの勢力拡大増長も引き起こしかねない。モトナリ公さえよければ我らと組みませんか」 「同盟のお誘いは嬉しいけれど、それもまた無用な混乱を生む可能性があるね。私はノブナガのやり方には反対だけど、完全否定もしない。統一は次代の平和に繋がることだ」 膝の上に乗り上げてきたジャノビーを撫でながらモトナリが話す。 そこには歴史家の仮面を脱いだ歴戦の知将の姿があった。 「悠長なものだな。そのためにはハジメに取り込まれても良いと?」 「私にはどうしてもヒデヨシがなんの考えもなく退くとは思えないんだ。若い力を見てみたい」 「モトナリ、貴様…!」 モトナリの言葉にギンチヨが声を荒げた。 傍らにいたルクシオの体がギンチヨの感情に呼応して静電気を纏い始める。 「貴様の知的好奇心を満たすために民を危険にさらすというのか!ブショーリーダーが変われば方針も変わる!民の生活にも大きな影響が出るんだぞ!」 ルクシオが唸り声を上げたのを見てジャノビーが顔を起こす。 首の回りから蔓を出し始めたが、それはモトナリの手によって制された。 元就はギンチヨを正面に見据え、静かに告げる。 「…ギンチヨ、変化を恐れてはいけない」 真摯な瞳がギンチヨを捉える。 その静謐な眼差しにギンチヨは一瞬ひるんだ。 「新しい力は歓迎すべきことだよ。本来ならブショーリーダーは君たちのような若者がやるべきなんだ。私はそれを身をもって示したい」 「か…勝手なことを言うな!貴様を信頼している民の心を踏みにじるつもりか!」 その言葉はまるで彼がどこかに行ってしまうように聞こえて。 ギンチヨがまた声を張った。 モトナリが常に自分はもう表舞台に立たないほうが良い、と言っていることは知っていた。 しかしそうなったら彼はどうするというのか。 おそらくは誰にも告げずにどこかへ行くだろう。 それは確信にも似た思いだった。 悔しいことに自分はモトナリを好いている。 いなくなってほしくないと心から願っている。 だからこそ、モトナリにアオバのブショーリーダーでいてほしいと思っているのだ。 そんなことを自覚してまた、ギンチヨは愕然とする。 自分はこんなつまらない人間だったのか。 民のためと声を荒げながら、実際は単に個人的な感情が上回っているというのか。 熱くなるギンチヨを見ても、相変わらずモトナリは微笑みながら返すだけだった。 「はは、もちろんただで負けるつもりはないよ。信念がないようなら全力で迎えうつ。ただ認めるに値する者だったら、その時は笑って城を明け渡すつもりだ」 晴れ晴れとした表情で告げるモトナリに対して、ァ千代が出来ることは子供のように文句を言うことだけだった。 「…民はそう簡単に納得しないと思うが?」 「そこがブショーリーダーの腕の見せどころだろう?」 モトナリがいたずらっぽく笑った。 …ああ。 彼はきっとうまく民の心もまとめてしまう。 新たなブショーリーダーの誕生を民に受け入れさせて。 そして。 その時になってやっと成り行きを見守っていたムネシゲが口を開いた。 「ギンチヨ、俺たちの負けだ」 書物の山を見回していたムクバードを呼び寄せて肩に乗せると、ムネシゲは立ち上がる。 「同盟は不成立、アオバは防衛戦にてハジメの真意を問う。俺たちはアオバのイクサを見て判断しよう」 「せっかく来てもらったのに君たちの顔に泥を塗るような真似をしてすまないね、ムネシゲ」 「いえ、想定の範囲内でしたから」 「全く、君も食えない男だ」 困ったように笑うモトナリにくすりと笑うと、軽く会釈をしムネシゲは颯爽と帰っていく。 おそらくムネシゲもまた、ギンチヨの胸に去来した思いに勘付いている。 それでも変わらないムネシゲが憎らしかった。 「ムネシゲ、待て!」 「ギンチヨも心配してくれてありがとう」 「だ…誰が心配などするか!精々無様な負けを見せないよう鍛練を積んでおくことだ!」 相変わらず可愛くないことを言いながらギンチヨは背中を向ける。 モトナリのイクサは、おそらく次で最後となるだろう。 ならばしっかりと目に焼き付けておいてやる。 この心もまたルクシオに伝わってしまったのだろうか。 ルクシオがモトナリを振り返っている気配がする。 ギンチヨはこの思いを振り切るように走り去った。 少し広くなった部屋を見回すと、モトナリもまた立ち上がる。 二人には強気に言ってしまったが、イクサの準備をもっと詰めておかなければならない。 しばらくゆっくり歴史書を読むことも叶わなくなるだろう。 はあ、とため息を一つこぼすと、モトナリは相棒に話しかけた。 「ジャノビー。私たちも鍛練しようか」 ジャノビーが了解した、とばかりに一声高く鳴く。 庭に出たモトナリは苦笑しながら天を仰いだ。 「世の中うまくいかないものだね。私が歴史を作ることになりそうだ」 end. ランセの伝説編で(配信エピソード受け取らないと)仲間にならない大殿がさみしかったのです。 2012.08.29up |